青少年の何でも書き込み寺 (大人も可)

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年の瀬に残念な締めくくり
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    アメリカのオバマは、任期満了まであと僅かというこの時期に、イタチの最後っ屁よろしくロシア政府に対して関係の悪化を目的とする「根拠無き挑発行為」を連発しています。もちろんロシア政府は相手にもしていませんが、問題はオバマ当人の「人相」です。とても人間のそれとは思えず、まるで○○ビの様です。人間、心に大きな闇を持つとこうなるという見本の様です。その意味では、この人は「自分で自分を騙す事の出来ない正直者」と言えないことも有りませんが、「色々と知り過ぎた失敗者」という側面を考えれば、最早自分の身が危なくなっているのかも知れません。であるとすれば、それも無理からぬ事と言えます。ここで一花咲かせて挽回などと考えても、更に醜態を晒すだけですので、そろそろ覚悟を決めた方が良いと思います。自分で選んだ生き様なのですから。

     

    その意味では、日本のアベも似たようなものです。アメリカ追従と戦前回帰の両建てをスローガンに「心此処に在らず」「国民不在」「あからさまな売国行為」に終始した一年で、平気で嘘をつきながらメディア操作を繰り返し、日本を不健全極まりない方向へと引きずりこんだ張本人です。その「人相」には「全部うそ」と書いてあります。オバマもそうですが、こういう人相の人とは心底関わりたく有りません。(よく皆さん寄って行けますね。)

     

    この手の人々に表舞台から去って頂くには「取り合わない、相手にしない」のが一番です。逆に言えば今、オバマがいてアベがいる状況は、多くの人々が「取り合い、相手にした」結果と言えます。もっと言えば「欲に釣られて受け入れてしまった」という事です。

    もちろん一旦招き入れてしまうと、出て行ってもらうのは大変なのですが、目先の欲得に引っかかった自分たちも悪いのですから、そのリスクは自ずとありますが、そうであれば尚更「二度と取り合わない、二度と相手にしない」という決意が必要です。

     

    人の「人相」がよく判らないという人は、取りあえず話しっぷりを聞いて「強そうな事、エラそうな事」を言う人、または「猫なで声」の人は極力避けた方が良いでしょう。何故なら「誠実な人」は、決してそうはならないものだからです。

     

    来年は「瓦解、崩壊」の年ですが、同時に「確かな芽生え」の年でも有ります様に。

    | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 10:27 | comments(0) | - |
    「人間の特徴」とは何か
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      それは1に人間性(=品格)、2に知性(=論理的思考)であって、国も社会もそれによって成り立つものと考えて誤りでは有りません。従って国が国民教育を以ってより良い国作りに積極的に関与しようとするなら、この2点が事足りるような教育でなければ意味が有りません。但し日本は長らくこうした観点による教育のスペシャリストを養成する事を全くと言っていいほど行なって来ませんでした。実際、今の教育現場で「人間性」について正しく教えられる教職員がどれほどいるかを考えて見れば、状況は絶望的であることは申すまでも有りませんが、取りあえずそうした「価値観の大転換」が急務であるということです。

       

      翻って現社会は、下品で反知性的な人々が大手を振って罷り通っています。何故そのような「人間の特徴」から外れた人々が社会の主流と成り得るのかと言えば、そのようにマインドコントロール(=教育)されて来たからです。その方法は至極簡単で、「品格や知性じゃメシは喰えない」「時には他人を踏み台にして分け入る押しの強さが必要だ」として、実際にそういう人間を厚遇し、品格や知性を重んずる人々を冷遇して見せれば良いだけの事です。また「金の亡者」のような人間をセレブ(上流階級)として持ち上げて見せ、あたかもそれを「社会的な価値の基準」の様に錯覚させれば良いだけの事で、その際その人間の「品格や知性」云々は一切タブーとします。

       

      こうして私達は謂わば「金権主義」というミクロ的な視野の中に押し込められ、それによって社会全体がどうなるのか、或いは社会の未来はどうなって行くのかなど、マクロ的な視野から遠ざけられた上で、「この世は弱肉強食の生存競争」などというトンデモナイ概念を受け入れさせられるハメに陥ります。もちろんこれは「出来レース」で、勝者敗者は最初から決まっていますが、少なくとも「結果は自己責任」と思わざるを得なくなる土壌や環境は整っていますから、誰にも文句は言えない事になります。

       

      ところで政界、財界にも多大な影響を及ぼしつつ、日本をこうした「下品で反知性的」な方向へ導こうとする「日本会議」なる組織が「神社本庁」を要として存在するとの事ですが、もし本当だとすれば驚きです。何故なら「神社本庁」は元々天皇を中心とする「国家神道」の再興を目指しているとの事ですから、その御祭神は日本国の守護神である「天照大御神」であり「八百万の神たち」であるはずです。では、その神様たちが日本社会の今現在の「下品と反知性」の有様を望んでおられるとでも言いたいのでしょうか。在り得ないでしょう。逆に神の逆鱗に触れるのが関の山ではないでしょうか。

       

      人間に相応しくない思想、及び構造物は、ほどなく瓦解、崩壊する運命に有りますが、おそらく表向きは自滅、或いは内紛、即ち内部崩壊の形を取ることになるでしょう。

      | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 10:05 | comments(0) | - |
      みんなで「より良い働き方」を考える
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        昨日、佐川急便の「荷物ブン投げ」について「アマゾン」の過剰配送サービスについて触れましたが、折よくそれに関連する記事を見つけました。それによると、アマゾンの配送を一括して請け負っているのは「クロネコ」の方でしたが、やはり末端の配送員の方々は、その皺寄せを受けて悲鳴を上げている様です。

        記事はこちら→ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161228-00005530-bengocom-soci

         

        今、折しも電通の企業体質による過労死問題がクローズアップされていて、それはそれで良いことなのかも知れませんが、昔から「誰かが死なないと物事をまとも(まじめ?)に考えられない」という日本固有の「国民病」を、本当に何とかしなければならないと心底思います。それは「先見の明」などという大げさな話ではなく、ほんの少しの真っ当な思いやり(=心の共有)さえあれば出来るはずの事です。

        因みに何故、思いやりが持てないのか。「我先に!」の如く、欲に目が眩んでいるからですよ。

        それに「サービス」とは「奴隷制度」の事ではなく、「対価に気持ちを通わせる」という意味合いで十分なはずのものだと思います。余り欲深に振舞っていると、必ずしっぺ返しを受けます。

        | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 10:15 | comments(0) | - |
        心に有ること、心に無いこと。
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          佐川急便の配達員が、客の荷物や台車を叩きつけて鬱憤晴らしをしていた事が朝のトップニュース扱いというのもどうかと思いますが、これは謂わば「心に有ること」をダイレクトに行なっている姿です。「とんでもないヤツだ!」と思うかも知れませんが、しかしその原因は「もっと早く、もっと便利に」という過剰な配達競争の結果が招いたものです。例えばアマゾンで昼間に注文したものが夕方には届く・・・そんなことを会社が請け負い、それを配達員に求めればこうなることは必定です。

          従来の感覚では「都内で翌日、関西からは2日、九州からなら3日」それで十分ではないでしょうか。もっと無駄を省いてって・・・無駄なんか最初から有りませんよ。継続的なサービスのために必要なマージンが有るに過ぎません。その部分を次々に働く人々から奪い取って行けば最後にはどういう事になるのか。これは何も佐川急便だけの話では無く、コンビニ業界だろうとなんだろうとみな同じで、「過剰サービス、過剰競争」が、そこで働く人々を破壊して行くのです。みんなで声を上げて「ノー!そんなサービスいらない」と言うべきです。

           

          一方でわざわざハワイの真珠湾まで出向いて朝から「心にも無いスピーチ」を行なったのが安倍総理です。その目的は単なる自己保身に過ぎませんから、本人は何の気持ちも入っておりませんし、神妙な振りは演じていても、その言葉には何の重みも説得力も有りません。これで「感動した」などと言う人がいたら、その人自体が嘘を付いているか、さもなくば(安倍総理同様に)「感動」の意味すらもわからないほど中身がスカスカの人としか思えません。

          安倍総理の自己保身と言えば、このところの「トランプ詣で」や「プーチン大統領との会談」も正にそうであって、何れも中身はスカスカでした。つまりそうでもしなければ政権が持たないという事かも知れませんが、それをしたからといって政権は持ちません。単なる血税の無駄遣いです。パフォーマンスをやりたいのなら、本当にせめて「自腹」でやって欲しいものです。

          | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 08:16 | comments(0) | - |
          テレビと車の話
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            以下のサイトには、昭和30年前後の「物の値段」が列挙されていて、大変興味深いものがあり、当時の「贅沢品」の感覚が一目でわかります。

            https://matome.naver.jp/odai/2135125912499431701

             

            これによれば、仮に「あんぱん(10円)」を基準として、当時の値段を10倍して現在の金銭感覚に照らして見ると、テレビが115万円、車に至っては(軽四輪でも)420万円もすることになり、これらは「一般庶民には無縁の完全な贅沢品」であった事が解ります。

             

            あれから60年余りを経た現在でも、車の方は相変わらず「贅沢品」と言えます。何故なら(新車で)購入時に100万円以上のものがほとんどで、しかも年間数十万円の維持費が別途見込まれるからです。

            しかし社会的に車を「贅沢品」として扱う感覚が薄れているのは、「軽い気持ちでどんどん買って欲しい」という国とメーカー側の思惑が有るからに他なりませんが、それを除けば今でも十分に「贅沢品」と言えるでしょう。

             

            一方で「テレビ」を未だに「贅沢品」と見るのは、かなり無理が有ります。何故なら1万円そこそこで買えて、維持費も(NHK以外)実質掛からないものだからです。ここは結構重要なポイントで、即ち「テレビ購入時に一万円の余裕が有ればテレビが設置出来て、その後更に生活に困窮する事になっても、(電気が止まらない限り)テレビは見続けられる」ものだからです。

             

            ですから放送法第64条の一節「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。」をまるで金科玉条の如く振りかざすNHKと総務省は、そんな簡単な話も理解出来ないほど、著しく思考能力の欠如した人々か、そうでなく何もかも承知でやっているとすれば、とんでもなく悪辣な人々のどちらかという事になります。

             

            つまりこういう事です。放送法の作られた昭和26年当時、受信設備(=テレビ)を購入、設置出来た人の中に、当時月額300円程度のNHK受信料を払えない人など現実的に皆無で有り、「生活困窮者への(受信料に於ける)配慮や対策など思いも依らなかった」というのが本当のところだと思います。その原因は当時テレビが「超贅沢品」だった事に尽きます。

             

            ところが時代は変わり、前述の如く今は「超貧乏」であっても取りあえず「(必需品として)テレビは有るし、逆に(緊急時に於ける)安全上無ければ困る」ことを、一番良く知っているのは、当のNHK自身ではないのでしょうか。

            本当にトボけるのもいい加減にして欲しいと思います。(因みにその話も含めて、先日西東京営業センターには、しっかり問題提起させて貰いました。)

            | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 11:00 | comments(0) | - |
            程なく「受難の日々」が来るでしょう。
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              それはもちろん「悪意を持つ者」に対してです。理由は「霊界では既にそうなっている」からです。そしてこの場合の悪意とは「自己中心思想」の事です。当然、そこにはそうなる仕組みやからくりが有りますが、最も重要な根拠は「既に霊界のコントロール下にある」ということに尽きます。その顕著な現象としては「こんなはずじゃなかったのに」という様な「目論見や皮算用の瓦解、崩壊」があり、「何か変だな」と感じた時には、既に手遅れかも知れません。しかしこれまでにも散々警鐘は鳴らされて続けて来た訳ですから、それも同情には値しないと思います。

               

              そもそも対象となる人々は、これまで散々っぱら「この世の春」を謳歌して来た様な人々で、「自分には能力が有るから」と自らを正当化してきた様な人々でしょうから、その「能力」とやらで最後まで自分の考え通りに生きれば良いと思います。但し出来るものならば。

               

              一方で「善意有る人々」に於いては、元々「多少の苦難は織り込み済み」の人生と思われますので、より一層の「辛抱の心」を以ってこの時代を乗り切る意気込みをしっかり持って頂ければ、必ずやその先に光明を見出す事が出来ると確信しています。

               

              他のあらゆる動植物がそうである様に、人間にも「人はかく有りなん」という望ましい在り方が想定されていて、そこから逸脱する者に対しては「原因結果の法則」に基づいた処遇が適用されるのは、実はこれ以上無いほど当たり前の事です。従ってもし「人間にはそのような制限、制約、枠に類するものは全く無い」ものと考えているなら、それはそのまま「神よりエラい」と考えている証拠と見做されます。

               

              つまり「自己中心思想=神よりエラい」と考えて間違い有りません。その考え方に本当に不都合が有るのか無いのか、今一度冷静に考えて見るべきだと思います。(自己中心な人々が最後には必ず名指しで神を罵る事を私は知っています。)

              | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 11:20 | comments(0) | - |
              「霊主体従」を地で行くという事
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                今日になってようやく体温が37度代で推移している様ですが、まだまだ平常とは言い難く、だからと言ってその間、(責任上)ただの一日足りとも安静、安楽な過ごし方が許される訳でも無く、鎮痛、解熱、強壮薬の類で苦痛が緩和出来る訳でも有りません。それは既に40年以上にわたって私が貫徹してきた自分としては慣れ親しんだ生き方で有り、珍しくも何ともないのですが、20代、30代はまだしも60代に至っては、体が悲鳴を上げているのが(客観的には)良く解ります。しかし残念ながら、それが「霊主体従」という在り方を地で行くという事なのです。何故なら体というものは(例え論理的に正しい事でも)悲鳴を上げたり拒絶したりする事がしばしばあって、そのため霊的な停滞やダメージが生ずる事が良くあるのです。増して「老化」という要素は、私にとって新しい局面でも有り、それに対してより注意深く対応して行く必要があるものと考えています。それに私の場合、自分の経験値はすべてデータ化しており、それによる「原因結果の法則」の実証がひとつの目的ですから、思い付きや気分で安易に変える事が出来ないという事情も有ります。

                 

                思うに私の体は、長年良く従ってくれていると思います。霊的な魂は永遠のものであるとしても、物理的な体にして見れば確かに「この世一代限りの存在」なので、その意味では本当はもっと「好きに生きたかった」のかも知れませんが、そうも行きません。「霊主体従」は法則であり掟なのですから。

                但し、誤解の無い様、一生を通じて私の様な「難行、苦行、荒行」を地で行くケースは特殊であって、特別な目的を持さない普通の人生に於いては、そこまで体を追い込む必要は生じないはずだとは申し上げておきます。ただいつも人間らしく「少しだけがんばって」もらえたら良いのだと思います。

                | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 23:50 | comments(0) | - |
                60代という年代
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                  ここ一週間以上風邪で38度代の熱が続いています。今までの経験では発熱はせいぜい2、3日で一定の経過をたどるものでしたから、60代になるとそういう新しい認識が加わります。もちろんその間、食欲不振や体の痛み、風邪の諸症状が続く訳ですから、決して楽では有りません。つまり60代になると、それまでよりもいちいちが辛くなると言うことだと思います。因みにこれらの症状を「薬で抑える」というのは論外です。何故なら風邪とは言え、自然の摂理に従ったものだからです。そういう一つ一つの事で「自然の摂理」に反した事を行なっていると、いつしか「自然の摂理に逆らったメンタリティ」が出来上がってしまうものなので、極力避けるべきだと思います。

                   

                  60代になると更に、自分のこれまでの足取りを総括する必要があると思います。何故ならその生き様そのものが次世代の人々へのメッセージであるに違いないからです。自らの足跡を振り返っては足らざるところを補い、改めるべきは改めるという、精神的努力を最大限に求められるのが60代の特徴と言っても良いでしょう。

                  つまり体は衰えるが、その意気は益々軒昂でなければ務まらないという、一見矛盾した状況を受け入れざるを得ないのが60代だと思います。

                  私も今までずいぶんとキツい人生を歩んで来た感が有りますが、もしかすると60代は(肉体的なハンディが増す分)最もキツい年代となるかも知れません。(ズルい生き方をしなければの話です。)

                  | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 09:36 | comments(0) | - |
                  何故「変動、変化」の次に「瓦解、崩壊」なのか
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                    それは、いきなり「瓦解、崩壊」では唐突過ぎるからに他なりません。それでは皆さん、実際困るでしょう。しかし事前の「変動、変化」を経験することで、私たちは物事の方向性や先行きをある程度予測することが可能になります。つまり「物の順序」としてそうなっているのですから、私たちは最大限それを活かさなければなりません。

                     

                    しかし、ここで多くの人たちはまた、よくある過ちを犯すことになります。それは毎度お馴染みの「人間は自分の都合の良い様に物事を考えたがる」という過ちです。それはこの場合、「変動、変化の後には再び安定、平穏が来る」と期待することになります。つまり「起きては困る様な想定は最初から持たない、認めない」ということですが、それを可能にするためには或る条件が必要です。それは「決して物事を論理的に理解しない」というものです。それを世の中では「日本人の知性の崩壊」と呼んでいるようですが、特に近年は一般人は元より「学者、ジャーたリスト、メディア関係者」などの間にも広く蔓延している現象とされています。

                     

                    昨日も申し上げた様に、(国際社会も含めて)私たちの社会は現在「間違った軌道上」に在り、もし幸福な社会を追求するのであれば、この先「大幅な軌道修正が不可欠」となるであろうということです。但しそう言われても、そこでその事の意味を「論理的」に理解しようとしなければ、チンプンカンプンで、逆に「今順調に金儲けが出来ているのに何が悪い?」という話にしかなりません。(別に特定の個人が金儲けが出来ている事と社会の是非とは関係ないのですが)そういう人はどうしても理解出来ない様です。

                     

                    地球にはある種の「自浄作用」が有りますが、それは「人為的な汚染」であっても働きます。また、それは「社会構造」や「思想的な汚染、汚濁」の際にも働くものと考えてください。何故なら人間はそれほど「地球」そのものの維持、管理に影響が大きい存在だからです。

                    そのような視野と展望の下に現在を見る時に、私たちがどれほどの「瓦解、崩壊」を想定すべきであるのか、自ずと判明するはずです。(どれほどの被害を被るかは、正にコントロール次第です。)

                    | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 12:06 | comments(0) | - |
                    2017年は「瓦解、崩壊の年」となるでしょう。
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                      2016年は「変動、変化の年」と申し上げて来て、これまで盤石と考えられて来た様々な社会構造に亀裂や歪みが生じ、その結果多くの問題点が浮き彫りにされる事となりました。しかもそれらは、どの問題を取っても思いの外根が深く、微調整やお定まりの修正を加える程度で改善される様なレベルの話では無く、国も国際社会も共に「抜本的な見直し」を迫られる事は必定です。それは言い換えれば私たちが過去何十年(或いは何百年)にもわたって「誤った軌道の上」を進んできてしまった事を物語っています。しかし道はこの先で終わっており、後は奈落の底へ落ちるのみとなります。

                       

                      2017年は幾多の「軌道修正」が試みられますが、これが抜本的なレベルで行われるためには、その過程で「時代に則さないものは淘汰される」事となるはずです。それが官民問わず組織であれば丸ごと消滅するか、または半数以上の部署が不要とされる事になるかも知れません。

                      特に今年の「変動、変化」が自分に取って少なからず不利益をもたらしたと感じている人々は要注意です。何故なら、それに続く「瓦解、崩壊」であるからには、その「延長線上」にあるものと考えるのが妥当だからです。この場合もし、ダメージを最小限に抑えたいと願うなら、唯一「英断を以って自ら動く」ことが考えられます。そうすることで「最低限のコントロール」を保持する事が可能となり、「瓦解、崩壊」の渦に巻き込まれモミクチャにされることだけは避けられるかも知れません。

                       

                      とにかく来年は「抜本的な流れを読み先手を打つ」事が重要となります。(小手先の技は全く通じません。)

                      また、物理的な事物の「瓦解、崩壊」に対しては、言うまでも無く、引き続き継続的な備えが必要だと思います。

                      | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 10:58 | comments(0) | - |