安倍総理自らが国会の場で言及した「辻元清美議員に関する疑惑報道」が関係者の証言の下、全くのデマであった事が明らかになりました。
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こうなるともはや「森友学園問題」の究明を拒み、早期幕引きを図る官邸側の答弁が何ら根拠を持たない「単なる希望的観測」に過ぎない事は明らかで、当初よりそこには論理的整合性の欠片もなく、言うなれば私たちは日々「メチャクチャな話」を「公式な政府答弁」として聞かされてきたということです。
何故ならそこに幾つかでも真実があったなら、現在の様な「絶望的な追い込まれ方」にはなっていないはずだからです。
ところで何故「メチャクチャな話」しか出来ないのかと言えば、それは「メチャクチャな事ばかりやっている」からに相違ありません。そもそも「森友学園問題」の発端は「官邸ぐるみの愛国教育推進」にあって、それ自体が教育機関による特定の思想教育という法令違反の恐れのある、いわば「メチャクチャな話」であり、故にその事実を隠蔽せざるを得ないという事情が底辺にあると思われます。何故ならそれは本来、国民の総意を踏まえた上での「憲法改訂」を待たなければ行えない性質のものであるからです。
このように現政権は正攻法とは程遠い「拡大解釈やからめ手、或いは強硬手段」などを講じて他にも「安全保障や経済」を始め、これまであらゆる「メチャクチャな話」を押し通してきた経緯が有ります。
それは概観的に見れば「第一次安倍政権」でメチャクチャの種を蒔き、それが「第二次安倍政権」になって芽を出し花を咲かせ、ようやく実を結ぼうとしているということです。更に言うなら収穫直前に「超弩級の台風」に襲われ、10年間の努力の全てが今まさに水没しつつあるというところでしょうか。
ですから政権側の心情として、なり振り構わず必死に食い下がろうという気持ちも分からないでは有りませんが、元々が「騙し」であり「卑怯」であり「違法」であるからには、それが露呈した段階でどうあがいても無理です。結論として(民主主義の名の下に於いて)「こんなメチャクチャでデタラメな政権は嘗て無かった」ということになります。
私たちの社会に対して、この「10年」がもたらした影響は決して小さいものでは有りません。「メチャクチャな政策」を無理やり押し付けられた事によって、すで社会の至るところに致命的な歪みが生じており、この政権の崩壊と共にそれら不安定要素を抱え込んだ様々なシステムや構造物が一気に瓦解、崩壊していく恐れを否定出来ません。そしてそれらの衝撃や余波が私たちを直撃するかも知れません。
もしそうなった場合、私たちはそれを甘んじて受けるべきです。そして同時に民主主義の下での私たち一人一人の責任と役割の大きさを再認識する機会と受止めるべきだと思います。
それが出来れば(社会として)二度とこのような失敗はしないはずです。