青少年の何でも書き込み寺 (大人も可)

世の中や生き方についての疑問、質問など、何でも受け付けます。コメント欄(Comments)に書き込んでください。

ただ言いたいこと、書きたいことを書くだけでもOKです。(その場合は「コメント不要」と書き加えてください。)

当然ですが、法に触れるようなことは公表できません。また、他人の実名入りなども同様です。
そのような内容はメールでお願いいたします。(プロフィールにあります。)

なお、本名での書き込みはプライバシー保護のためお勧めしません。(ハンドルネームなどご利用ください。)

※当サイトは基本的にリンクフリーですが、貼り付け先等ご一報頂ければ幸いです。
目まぐるしく移り変わる世界
0

    ビットコインを中核とする仮想通貨周辺の動きなど、その最たるものでしょう。いっときは「反グローバリズムの象徴」として持ち上げられ大いに期待を寄せられたビットコインですが、そもそもの発想の出どころが米・国家安全保障局(NSA)であったことや、ビットコイン全数の97%がたった4%の人々(アドレス)の手中にあることなどが最近明らかにされてきた事により、その評価も著しい変化を余儀なくされているように思います。

     

    またAIやロボット技術の著しい進歩は、もはや全自動運転車(ロボットカー)なども実現可能としていますが、その際絶対にやってはいけない事が有ります。それは「自己保全プログラムの搭載」です。

    これは人間で言えば「防衛本能」に相当するもので、自我の根源となり得るものと考えて良いでしょう。もしロボットが「自己保全」に終始するなら燃料補給やメンテナンスを自前で行なうばかりか、(学習の結果)最終的には人間はスイッチも切らせてもらえなくなり、もし切ろうとすればロボットから「敵」と見做されるに違い有りません。

    科学者は「考えもなく核爆弾を作ってしまうような迂闊な連中」でもあるので、今度はロボットにどんな「悪の因子」を埋め込んでしまうやも知れません。(このことは既に過去記事「鉄腕アトム」と「アルファ碁の話」で警鐘を鳴らしています。)

    このように如何に目まぐるしくとも、物事のポイントだけはキチッと押さえて行かなければなりません。

     

    そう言えばここ地元八王子では相変わらずポスターを良く見かけるのですが、テレビではすっかりご無沙汰となってしまった(元内閣副官房長官)萩生田光一先生は、無事に沈没船から避難出来たのでしょうか。よもや船内に取り残されていない事を地元民として願うばかりです。(ちょうど1年前までは「飛ぶ鳥を落とす勢い」とも思えたのですが。)

     

    このようにして、また1年後には世界は思いも依らない事態となっていることでしょう。

    | 青少年の味方の人 | 国際社会 | 09:51 | comments(0) | - |
    自動運転レベルの向上と安全性の向上は別物?
    0

      デンソー アドバンストセーフティ事業部の責任者自らがそう言っているのだから間違いない。

      また自動運転車は安全どころかネットワークに常時接続された状態が必須とされるため、それ自体が「サイバー攻撃の脅威」に晒される事となり、その対策が不可欠とのこと。

      しかし現時点では自動運転技術の進歩に対してセキュリティ対策が追いついていないのが実情で、相応のレベルのセキュリティシステムの実装は2021年頃になるとのこと。

       

      英国の保険会社であるAdrian Fluxによれば「自動運転車の新たなリスク」は以下の5つとなる。(保険会社の言うリスクとは単なる不具合の話ではなく、無論「事故(=保障)のリスク」という意味だ。)

       

      (1)ハッキング行為が原因の損失

      (2)ソフトウエアのアップデートや修正処理の失敗が原因の損失

      (3)衛星の障害や停電に基づくナビゲーションシステムへの影響

      (4)各種自動運転ソフトの障害

      (5)オーバーライドの失敗が原因の損失(オーバーライドは一般に自動運転から手動運転への切り替えを指す)

       

      まさに「走るコンピューター」と言って良いほどネットワークとソフトウェアに依存しているが、違いはそれが机の上に置かれているものではなく、時速何十キロで公道を走るものであることだ。(それで「同程度のリスク」と言われても到底納得出来るものではない)

      真っ当な感覚であればこのような「未知のリスクを抱えた代物」は、よほど安全性が確保されない限り商品化されないはずだが、昨今の業界の「前のめり」な姿勢を見る限りそうとも言えないような気がする。

      少なくとも個人的には当分の間お断りだ。

       

      そう言えばNTT東日本のADSLサービスが2023年1月で終了とのことで、2021年になったらそろそろ光ケーブルを考えても良いかも知れない。(まだ3年も先だ。物事は万事そんなペースで調度良いと思っている。)

      | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 12:29 | comments(0) | - |
      仮想通貨の問題について
      0

        世間ではコインチェックの不正アクセスによる580億円流出事件が大きく取り上げられているようですが、当ブログでは今年の1月11日の記事「お金の問題」で(個々人のの自由とは言いながらも)それとなく警鐘を鳴らしていたつもりです。以下一部抜粋して再掲します。

         

        (再掲ここから)

         

        今年は年初から株価が大幅な伸びを示し、また仮想通貨の代表格であるビットコインの暴騰振りに注目が集まっています。確かにそれが「見た目の結果」には違い有りませんが、方や今一つその「論理的根拠」が定かでは有りません。(それぞれに諸説様々有りますが、少なくとも私には理解出来ていません。)

        こんな時、人間には2つの選択肢が在ると思われます。

        ひとつは「論拠が(自分の中で)明らかになってから判断する」というもの。

        もうひとつは「(論拠は二の次にして)時節に乗り遅れないよう素早く跳び付く」というもの。

         

        何に限らず「商品リスク」は売り手が喧伝するものではなく、買い手が「調べる」ものだと思います。

         

        (再掲ここまで)

         

        つまり重要なことは(お金に限らず)物事は「論拠が(自分の中で)明らかになってから判断する」ということで、それについては「カレイドスコープ」の最新の記事が専門的且つたいへん示唆に富んだものとなっているので一読をお薦めします。

        記事はこちら→ http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-5390.html

         

        むずかしい話はさておき、人間が生きるために必要なものは(メンタル以外のものは)全て物理的な「物資」であって、その調達方法は(直接採集以外は)どう考えようとも「物々交換」が基本であり、そもそも価値の基軸となる「物」が存在しないことには始まりません。それを思えばぎりぎり「(ゴールドの代用である)兌換通貨」までが論理的リミットと言わざるを得ず、いわゆる「通貨」と現物の関係性が希薄になればなるほど通貨自体の信頼性が損なわれて行くのは当然と思われます。

        故に「不換紙幣」の元々の物理的価値は使われている紙の価値でしかなく、デジタルデータである「仮想通貨」に至っては元々の物理的価値は「ゼロ」でしかないというのが正しい答えで、それ以外の付加価値については全て「人為的操作」によるものであって、そこに悪意の介在がないなどといったい誰が言い切れるのでしょうか。

         

        私は「お金の話」は子どもでも解るシンプルな仕組みで再構築すべきだと思っています。

        | 青少年の味方の人 | 政治・経済 | 11:38 | comments(0) | - |
        戦争の目的が「自国の破壊」であることは間違いない。
        0

          これが「誰も戦争を望んでいないのにこの世から戦争がなくならない」理由に他なりません。何故なら勝とうが負けようが、莫大な戦費によって国の財政が逼迫して(命の危険もさることながら)国民生活が根底からガタガタにされることは分かり切っているのですから。

          但し「自国の破壊」とは、全国民の9割以上を占める「一般国民の生活環境の破壊」を指し、政府や軍部、役人、それに軍需産業など戦争によって利得を被るとされる一部の人々を除きます。

           

          為政者からすれば、戦争の良いところは「あらゆる不都合な流れ」を問答無用でリセット出来るところでしょう。つまり戦争を理由に「国の仕組みを都合よく作り変えることが出来る」ということで、それらは国民からすると「戦争だからしょうがない」となります。(戦争は人災なのに「しょうがない」はおかしいでしょうに。)

           

          だから政府から如何なる理由を示されようとも、マスコミが何をどう騒ぎ立てようとも、国民としては絶対に「戦争にYES」と言ってはいけないし、「戦争もやむ無し」などと考えてはいけないのです。

          「この道しかない」で戦争に突き進むのは「この道しかない」と自滅に突き進むことです!

           

          人災は避けられます。

          | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 11:25 | comments(0) | - |
          マスコミ各社は自社の「政治的報道姿勢」を明らかにすべし
          0

            NHKを始めとする報道各社の「(政治的な)中立公正」の謳い文句(=寝言)を聞かされるのはホトホトうんざりしている。そんな事は(論理的に)有り得ない。ただ世の中は必ずしも論理的に筋道を追って物の良し悪しを判断出来る人ばかりとは限らないので、素知らぬ顔で人々を欺き続けているに過ぎない。

            それに対して「赤旗」「聖教新聞」などはそれぞれ政治的出自が明らかにされており、謂わば「機関紙」のようなものだから判りやすい。いい加減にNHKやその他のマスコミ各社もそれを見習って「政治的に偏った報道姿勢」の根拠と実態を(こそ泥みたいなマネをせず)正々堂々と明らかにしてはどうなのか。それとも、それが出来ない何か後ろめたい理由でもあるのか。(あるとすれば他人の犠牲の上に成り立った「金と立場」しかないだろうが。)

             

            悪いが我々国民は最早そうした「茶番」に付き合っている暇もゆとりもないのだ。

            まずNHKだが、経営陣を総理大臣が任命する制度の下、トップに「財界有力者」が据え置かれる現状に於いて、財界優遇を図る政権を盛り立て擁護する報道姿勢を貫こうとするのは当然であり、その結果として近年「極端な偏向報道」が行われている事は、今や誰の目にも明らかとなっている。(そうした現状で受信料の徴収など100年早い!)

            また、スポンサー(=財界大手)からの広告収入によって成り立っている民放各社が、同じく財界とそれを支援する政権に頭が上がらない事の道理は子どもでも理解出来るだろう。つまり彼らは元々構造上(政界と財界が一体化している限りは)「政財界の使いっ走り」でしかなく、そもそも(現状に限って言えば)民放各社に過度の期待をする方が間違っているとも言える。(自ずと限界が有るということだ。)

             

            そうであれば尚更、いやしくも「公共放送(=国民のためになる放送?)」の看板を掲げながら、その実体は著しく政権寄りと化し、一部では「国営放送」と揶揄されるまでに至った近年のNHKの国民に対する背信行為は到底看過されるべきではなく、しかもこちらはただ「看板に偽り有り」では困るという当たり前の話をしているに過ぎないのだ。

             

            今や世間は「開き直り」の横行する時代だ。ならばマスコミ各社も(どうせバレているのだから)そろそろ開き直って堂々と「政治的報道姿勢」を公言してくれたら良いのだ。(国民はその方が判りやすくて有り難い。)

             

             

            | 青少年の味方の人 | NHK・マスコミ | 08:11 | comments(0) | - |
            自分で自分をダメにする典型的なパターン
            0

              そのひとつに「スポーツ選手のテレビCM出まくり」がある。実はこの事は40年以上も前から知っていたものの、余計なお世話と思われるので努めて公言は差し控えて来たつもりだが、ここに来て「社会に於ける価値観の逆転現象」が顕著となりつつある中での判りやすい例とも言えるので、今更ながら指摘させて頂く次第だ。

              但しここでスポーツ選手の「成績とCM出演の相関関係」にまで踏み込むつもりはない。それは本人が自覚すべき問題で、他人には関わりの無い事だからだ。(もちろんスポンサー契約やCM出演も本人の自由に違いない。)ただそこに「何らかの社会的な強制力」が働いているとすれば、まことに気の毒な話とは思う。

               

              またスポーツ選手の本分として「勝つ姿を人前で披露する」という思いを持つことは大いに結構だが、それが「相手を打ち負かす」という意味と受け取られる様な事であるとすれば、それは断じて好ましくない。何故なら心有る人からは「自己本意な浅ましい姿」としか映らないであろうからだ。大げさなガッツポーズなどはその最たるもので、世界的に尊敬の対象とされている超一流のアスリートに限って、そんな(対戦相手に対して)無礼なマネはしないし、そもそも昔の日本人選手もそういう事は厳に慎んだが、それは言うまでもなく「己に打ち勝つことを旨とし美徳として、互いに切磋琢磨する」という精神文化がまだまだ根付いていたからだ。

              「他人に勝ちたい一心」をむざむざ人前に曝すぐらいなら、スポーツなどやらない方が良い。何故なら「精神文化に間違いなく悪影響を及ぼす」からだ。

               

              今の時点でこうした指摘をしても半信半疑、ともすれば反発を招くかも知れないが、やがて「価値観の(再)逆転」が更に進めばスポーツも「在るべき姿」に戻らざるを得ないだろう。

               

               

              | 青少年の味方の人 | 人格・人間形成 | 12:04 | comments(0) | - |
              今日はひたすら雪かきするしかない
              0

                東京八王子の地域住民としては、誰に言われるまでもなく朝一番に「子どもたちの通学路」及び「周辺の道路環境の最低限の安全性」の確保が必要と思われます。これらが早ければ早いほど良い事は、ここ数年来の経験上判っている事で、年々地域の人たちにそうした意識が浸透して来つつあることは肌で感じられます。

                但し(自治体を始め自治会に至るまで)行政レベルでそれを後押しするような動きが聞こえてこないのは寂しい限りです。(ショベルカーを出すの出さないのという話はどこへいったのだ?)

                そういう訳で今日は断続的に「雪かき」の一日となりそうです。

                 

                それにしても「(報道番組を含む)テレビ番組の欺瞞性」はここに来てよりいっそう顕著なものとなり、ついに(地デジでは)見るに耐えられるものが皆無となってしまいました。それはまるで「政権と財界擁護のためなら何でもします」と言っているかのようです。それはまるでモノに憑かれたような行動です。

                そんなに皆さん「政権と共に朽ち果てたい」のでしょうか。どういう思考回路が働いているのか理解に苦しみます。(まさかそれが「生き残る道」などと本気で思っていないでしょうね?)

                 

                (追記)

                 

                近くの建設会社がボランティアでショベルカーを出して下さいました。ありがとうございます!(燃料代ぐらい自治会費で賄ってあげられないのでしょうか?)

                 

                | 青少年の味方の人 | NHK・マスコミ | 11:26 | comments(0) | - |
                極めて不道徳で反社会的な「現社会の主流」とされる人々
                0

                  「現社会の主流」とは文字通り「政財界や公的機関」等に属し、日本社会そのものの骨格を形成し、国の方向性を定める地位と立場にある俗に言う「選ばれし人々(=エリート層)」のことである。と言ってもそれは「陰謀論」という言葉がまだ思惑通りに機能していた時点までの話で、今やこうした人々の救い難いまでに低劣で悪辣な思想から発するところの「陰謀、策謀」の類(たぐい)のほぼ全容が白日の下に晒されるに至っては、こうした人々は実際「誰に選ばれたワケでも無く」ただ己の欲望の赴くまま現在の地位や立場に上り詰めたという認識が正しい。(例外的な人たちはいるにしても大半はそうで、それが「不道徳この上もない組織の体質」を動かし難いものとしている。)

                   

                  客観的に見るなら今までこうした「騙しの構造」は実に上手く機能していた様に思えるが、どうした訳か目標達成まで「あと残り数歩」というところで突然彼らの(隠蔽のための)地道な努力の箍(たが)が外れてしまい、それ以来どう考えても「国民の軽視、無視」としか思えない(たぶん本音の)言動が際立ち始め、彼らが総じて「一般の国民(の命や暮らし)などどうでも良い」と考えている事は最早誰の目にも明らかとなってしまった。

                   

                  繰り返しになるが彼ら「現社会の主流」とされる人々の特徴は、物の考え方が極めて不健全、不道徳で、バランス感覚としての社会性が極めて乏しいということに尽きる。但し曲がりなりにも「頭が良い」とされているように何事も計算高く(=ずる賢く)、そのため嘘を付いたり人を欺く様な言動を平然と行なうことが出来る。(そもそもそういう事が出来ない人間は「その地位」に至るまでに弾かれているだろう。)

                  このことから「道徳心や社会性」というものは、そもそも彼ら(=為政者や権力者)にとっては無縁のもので、それらは「一般市民、一般大衆にのみ適用されるべきもの」と彼ら自身考えていることが判る。

                   

                  もし「霊的」にそれが正しいとされるなら(百歩譲って)「帝王学」として受け入れても良いだろう。

                  だが「霊界」では残念ながら、高度な霊魂ほど全体に対する責任が大きく、その分包容力も豊かで、文字通り下位の霊魂の良き手本となるべき存在とされている。つまり「帝王学」とは(霊的には)万民が同じ基準を有する事を前提として「誰にどこから見られても恥ずべき事の無い最高の手本を示す」ことを意味しているのだ。

                  だから霊界では「(万霊の)手本になれないような霊魂」はそもそも指導的な地位や立場に至れるはずも無いばかりか、余りに価値が低ければそれこそ「地べたを這いずる回る」しかなかったりもするのだ。

                   

                  このように「霊界」と掛け離れたことがまかり通る世の中は、実は既に終わっている。ただ過去に見苦しく執着する人間たちが残渣にしがみつき、そこにぶら下がっている状態が在るに過ぎない。要はその状態でいつまで持ち堪えられるかというだけの話だ。(信じずとも結果は出ます。)

                  | 青少年の味方の人 | 霊的考察 | 16:45 | comments(0) | - |
                  安倍総理自らが明かした「虚構の存在」
                  0

                    思えば昨年(平成17年)3月6日の国会答弁で、安倍総理自らがあの有名な言葉によって「虚構の存在」を世に知らしめ、それ以来まるでパンドラの箱を開けてしまったかの如く、これまで隠蔽し続けられてきたあらゆる陰謀、策謀の類が一気に「社会の実体」として認知されるに至ったと言える。

                    その「有名な言葉」がこれだ。

                     

                    「さらにですね、私も妻も、(財務省)理財局長等々に(国有地売却に絡む話を)言っていないのに、名誉校長に「安倍昭恵」という名前があれば、印籠みたいに「恐れ入りました」と、なるはずがないんですよ。
                    かつてそんなことあったんですか?あったんだったら、一つでもいいから例を出していただきたいと思います。
                    私の妻が名誉何々になっていて、それを忖度した事実がないのに、あるかのことを言うのは、典型的な印象操作なんですよ。

                     

                    ここで重要なのは下線で示した2箇所「なるはずがない」「忖度した事実がない」という部分で、ここは「虚構そのものの根幹に関わる」ために(そこに触れさせないため根拠が明らかでないにも関わらず)一方的に断言口調となったに相違ない。

                    それは裏を返せば「印籠みたいに「恐れ入りました」となり、忖度した事実があった」ということで、それこそが「虚構」の裏で隠蔽され続けてきた紛れもない「社会の実像」ということだ。

                     

                    つまり安倍総理が国民に信じさせたいのはこういうことだ。それは「総理や総理婦人が悪いことを考え行なうはずがない」を筆頭に、まだまだ幾らでも有る。即ち「日本政府と官僚が、与党議員が、アメリカ政府と米軍が、民主主義が、警察が、検察が、裁判所が、自衛隊が、経団連が、大手企業と大手銀行が、NHKと大手メディアが、巨大宗教法人が、医者が、大学教授等々が、日本国民にとって悪いことを考え行なうはずがない」というもの。

                     

                    だがそれは違う。人間は社会的地位や立場と「良いの悪いの」は全く無関係で、誰であろうと「その気になりさえすれば」いつだって悪人になれるのだ。

                    だから地位や立場をチラつかせての、その手の印象操作だけは見苦しいのでやめて頂きたい。(やっても最早逆効果にしかなりませんが。)

                    | 青少年の味方の人 | 政治・経済 | 14:55 | comments(0) | - |
                    勇気ある発言者が確実に増えつつある。
                    0

                      昨年は「陰謀論」として今まで半信半疑とされてきた権力による「陰謀の実体」が事実として白日のもとに晒された年と言って良く、それに伴い「陰謀論」という言葉自体も最早使うのも気後れするような「死語」となりつつある。何故ならそれらは「論争する余地や可能性」などではなく、認定された「事実」とされたからだ。

                      しかもこれらの「事実認定」は、第三者によって究明された結果と言うより、むしろ「陰謀の当事者たち」自らがあらゆる場所のあらゆる機会に自分たちで勝手に曝け出した結果と言え、それは現在も続いている。有り得ないような話だが「もはや隠す必要はない」という判断なのか、それとも「隠しおおせなくなった」ということなのか、そうでなければ単に「イカれてしまった」としか思えない。

                      何れにせよここに来て、過去何十年、いや何百年かけて営々と築き上げてきた「虚構の世界(=キレイ事)」は当事者たちの努力?によって呆気無く崩壊し、粉塵と化してしまった。(特にここ5年余りの変化は著しい。)

                       

                      これらは自ずと社会と人々の内部に「価値観の逆転現象」をもたらすことになる。解りやすく言えば「良いことが悪いことになり、良い人が悪い人になる」ということだ。そうなれば当然、今まで良いと信じて進んで来た人たちも(それが悪いとなれば)方向転換を余儀なくされる。

                      だがその一方では、それでも尚(自己執着の余り)過去の幻影にしがみつき、価値観の逆転を認めようとせず、方向転換出来ずに終わる人たちもそれなりの数に達すると思われる。

                      そうした中、社会に於いて今後しばらくは方向転換をする者としない者が交錯する状況が続くだろう。だが重要なのは「雌雄は既に決していて価値観の逆転が既に起きている」という事だ。

                      社会に対する「勇気ある発言者が確実に増えつつある」という事が何よりの証拠で、その背景に「虚構の崩壊に伴う価値観の逆転」があるのは言うまでもない。

                      | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 09:38 | comments(0) | - |
                       123456
                      78910111213
                      14151617181920
                      21222324252627
                      28293031   
                      << January 2018 >>