青少年の何でも書き込み寺 (大人も可)

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今日も朝からオリンピック!
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    平昌オリンピックは先週終わったというのに未だにトップニュース、いやぁテレビは引っ張る引っ張る・・・と思いきや次のニュースは柔道グランドスラムですか。テレビがそれほどまでに国民を「スポーツ(情報)漬け」にしたいという意図は十分伝わってきますが、いったい何のためでしょう?くどい様ですが、国民の知るべき情報は他にもたくさんあるはずですので、(スポーツが悪いとは言いませんが)優先順位や量的バランスを考慮して国民にとって適切な情報提供を改めてお願いしたいと思います。

     

    ところでこのところ記事の更新ペースを落としているにも関わらず、以前に増して多数のアクセスを頂きありがとうございます。取り分け過去記事全般に対するアクセス(閲覧)数が増えていて、因みに2月中だけで既に600件以上(=全体の3分の2近く)の過去記事を様々な方々に閲覧頂いています。

    また余談ですが、例えばYahooなどで“青少年 書き込み”と入力して検索すると(何故か)トップページに表示されるまでになっています。

     

    (新)カテゴリー分けの進捗状況は現在まだ4分の1程度です。(一件一件内容をチェックしているため)終了までは新旧が混在した状態でご不便をお掛けしますが、何卒ご了承下さいますようお願い致します。

    | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 11:04 | comments(0) | - |
    子どもでも解る「日本の現状」
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      オリンピックの(マスコミによる)盛り上げに隠蔽された形ではありますが、国会では「裁量労働制に関する厚労省の不適切データ問題」による紛糾が続いています。これは一言で言えば「国会の場で公然と(政権主導の)インチキが行われていた」という証しであり、その証拠に厚労大臣自らが「不適切データと知りながらその事実を隠していた」という経緯が明らかになっています。

       

      物事は「一事が万事」と言いますが、(ほとんど詐欺にも匹敵するような)こんなにも露骨な(関係省庁を巻き込んだ)インチキをする政権の体質であれば、懸案の「森友、加計、スパ」に於いても同じ発想、同じ手口のインチキが為されたと推察するのが余程自然と思われます。(そもそも火の無い所に煙は立ちません。)

      昨今国会で耳にする政府側の答弁と言えば、そんな(到底最高学部出身者には似つかわしくもない)小学生でも解る言い逃れや嘘や開き直りばかりです。しかも自分が悪くても「謝らない、直さない、人のせいにする」を公然とテレビ中継されている訳ですから、教育上甚だよろしく有りません。

       

      佐川国税庁長官の「隠蔽、偽証」の件もあって、野党の面々の主張する通り、実際に「森友問題は既に詰んでいる」わけですから、この場に及んで現政権を支持するとすれば、その人たちは「余程現政権と利害の一致した人々」であり、それ以外の理由は考えられません。(それとも虐げられコケにされるのが好きな人?)

      このように「徹底的に往生際の悪い政権」には国民も(好む好まざるに関わらず)「徹底的に対峙」するしかないのです。何故なら「裁量労働制問題」に見られるように、政府の意向が文字通り「国民の生命と財産」を左右するからです。(その認識の足りない人が多すぎます。)

       

      とにかくこんなにも「子どもの教育上良くない政権」を今まで見たことが有りません。(この先治らないのなら教育的観点からも即刻辞めてもらうしかないでしょう。)

       

      | 青少年の味方の人 | 政治・経済 | 10:14 | comments(0) | - |
      今や社会は「鉄火場」さながら・・・
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        博打(ギャンブル)と通常の勝負事の違いは「勝敗に至る根拠の明瞭性」または「勝敗確率の差」でしかないだろう。博打は「賭け事」だと言うが、どちらも「勝てば多大な利益」を被る仕組みに変わりはない。そんな社会の「鉄火場」体質ゆえに「カジノ法案」などが国会で平然と真顔で論議される異常事態となる。(取ってつけたような「ギャンブル依存症対策」など無意味に等しい。)

         

        このところのテレビ報道は、もちろんオリンピックの勝者を称える事にのみ余念がなく、一方で将棋などの「勝負事」が兎角クローズアップされ、同じく勝者が「国民栄誉賞」を受賞するなど勝負事が当然の如く推奨される。その前は「大相撲」の話題で持ち切りだったので、それもやはり勝負事が絡んでいる。

         

        そもそもそれ以前に現在の社会はあらゆる面で実際に人々を競争という「鉄火場」に追い込む仕組みになっている。ただそこで「他人との勝負に臨む」方法が、学歴で有ったり身体能力で有ったり奇抜さで有ったり、はたまた「狡猾さ」で有ったりと、幾つかの選択肢に分かれているに過ぎず、その目的は何れも「他人との勝負に勝って格差社会の上位に位置する」ことに違いない。

         

        このようにして社会では「勝つことに価値が有る」という思想が形成され、常にひと握りの勝者と多くの「その他大勢(=敗者)」が生み出されて行く中で、自ずと勝者は優遇され敗者は「能力が低い者」または「努力が足りない者」と位置付けられ、そうした処遇は概ね「自己責任」とされる。

        因みにテレビ出演者のほぼ全員がそうした意味に於ける「勝者」であることを踏まえれば、敗者の気持ちが理解できるはずもなく、本気で「競争社会」に意義を唱えられる由もない。

         

        こうした中で最も重要な問題は、小学校や中学校で(お題目のように)「ひとに親切にしよう」「ひとを思いやりいたわる気持ちを持とう」「優しい心を持とう」などと、相変わらず教育目標に掲げていることだろう。日々社会の空気を吸って生活している子どもたちにとって、これほど理不尽な話はない。何故なら、方や「熾烈な生存競争に勝ち残れ」と言われ続けて(或いは肌で感じながら)これまで成長してきた経緯があるからだ。

        こういうことをすると子どもたちは逆に「親切、思いやり、優しさ」といった言葉自体に何ら深みを覚えない、軽薄なイメージしか持ち得なくなってしまうに違いない。

         

        ではどうすれば良いのか。「親切、思いやり、優しさ」を教育目標から外す?とんでもない。そんなことをすれば社会は「鉄火場」を通り越して「修羅場」と化してしまうだろう。

        これは誰がどう考えても「子どもに対する教育目標」が通用せず有名無実化してしまう今の「社会構造」がおかしいのだから、速やかに社会構造を改めるしかない。

        「親切、思いやり、優しさ」とは本来「みんなで手を取り合って、みんな一緒に良くなろう」という人間関係の基本、社会構造の理想形を表したものだから、教育目標としての価値があるのだ。

         

        冒頭に「鉄火場社会」と言ったが、そもそも賭博行為の何が悪いかと言えば、生産性がゼロと言うのもさることながら、一番悪いのは「テメエさえ良ければイイ」というその性根そのものにあると言っても過言ではないだろう。

        | 青少年の味方の人 | 子育て・教育 | 09:16 | comments(0) | - |
        右も左もオリンピックの話で持ち切りって?
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          オリンピックのような大きなイベントが開催される際にいつも感じることだが、期間中テレビではニュースもワイドショーも朝から晩までほぼその話題一色になる。その間政治も社会も国際情勢もその活動を停止して、あたかも世の中では(オリンピック以外)何事も起きていない様な錯覚に陥りそうになるが無論そんなことはなく、普段と変わらず事件や事故が起こり続け、不正や犯罪が行われ続け、人が死んだり傷ついたりし続けているに違いない。にも関わらずマスコミが一方的にそれらを報じることを控え、人々の意識が殊更オリンピック一辺倒となるよう画策しているに過ぎない。つまり日本国内や地球のどこかで人々が非業の死を遂げる事は「オリンピック選手がメダルを取ることよりも遥かに価値が低い」と言われているようなものだ。

           

          こうして感動や感嘆のツボを履き違えた「薄っぺらな人間」が量産されてきた事がよく解る。

          だが幸いにして、それも間もなく終わるだろう。

          | 青少年の味方の人 | NHK・マスコミ | 11:06 | comments(0) | - |
          カテゴリー分けの作業を進めています
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            暫し記事の更新をお休みして、以前から気になっていたカテゴリー分けの作業を少しづつ進めています。

            旧カテゴリーの内「証明出来ない?大事なお話」は「霊的考察」に置き換え、また「大人向けの大事なお話」については、カテゴリーを細分化することで過去記事を検索、閲覧しやすいものにしたいと考えています。

             

            尚、作業中しばらくは旧カテゴリーと新カテゴリーが混在する状態となり、ご不便をお掛け致しますが何卒ご了承下さいますようお願い申し上げます。

             

            管理人

            | 青少年の味方の人 | ご連絡・お願いなど | 08:12 | comments(0) | - |
            霊的提言
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              古(いにしえ)より現代に至る人類の真実の歴史を顧みるならば、愚かで目先の欲に心を奪われやすい人々を、同じく愚かではあるが更に強欲で狡猾な人々が、時には暴力的に、時には奸計を用いるなど、あの手この手を駆使して支配し、強大な権力の下に服従させてきたという愚かし過ぎる歴史の本流に行き当たる。

               

              ちょっと待って!何故人間はかくも愚かなのか。それも大半の人間が・・・。その理由は過去数千年も続いた「夜の時代」にあると言わざるを得ない。しかもそれは霊界が一方的に決めたことで始まり、定められた期間継続され、そしてやはり一方的に終了され、そこに人間の都合など微塵も介在しない。

               

              つまりこれは「霊界」に拠る壮大な罠だ。(本当は霊界との繋がりを故意に弱める事で人間の自主性、自律性、自発性を問われたものであっても、その意思を持たない者にとっては罠に違いない。)

              これだけ見ても「人間は霊界の完全な管理下にある」という事ぐらい解りそうなものだが、ここまで言っても解らない人にはどうしようもないし、もうその件でこれ以上は言いたくない。(人間には向上と下向の自由が保証されているので)

               

              過去から現在に至る日本社会や国際社会の問題の全ては(霊層が至って低く人格の覚束ない)「愚かな人々が実権を握っている」ことにあり、それを差し置いて世の中の事をいくら考えても全く意味がないし、逆に言えばそれと相応しい人間を中心とした社会が構築されるならば、民主主義であろうが無かろうが(仮に一党独裁であろうが専制君主制であろうが)人々の幸福度に於いて大差はないに違いない。何故なら「みんなで良くなる。みんなで良くする。」という基本思想が社会の隅々まで行き渡り繁栄をもたらすことに変わりはないからである。

               

              この「愚かな人々が実権を握る」という現状は、明らかに「夜の時代の残渣」でしかなく、次第に然るべき形へと移行せざるを得ないが、それがどういう経過を辿るかについては、執着の度合い次第と言えよう。

              何れにせよ新しい時代への流れは既に決まっており、流れに逆らうほどに苦痛を伴うことは言うまでもない。

               

              当サイトはそもそもが来たる新しい時代の流れを主に人々の「心の構え」に焦点を当てて明示し、日々の努力の方向性を示唆する目的で立ち上げられたものだ。また必要に応じ「霊的考察」に踏み込んでもいるが、不必要な知識の羅列などは厳に慎んで来たつもりだ。(それらは「百害有って一利無し」であるし、そうまでして関心を引こうとは毛頭思わない。)

              こうして書き溜めた1000件を優に越える記事は、目的に対しほぼ必要十分な質と量に達したものと考えている。

               

               

              追記:

              本日も数人の方々によって300件を超える過去記事を閲覧頂いたようですが、当サイトは便宜上ブログ形式となっているだけであって、私自身としてはそのように過去記事の活用を頂けることを本意としており、喜ばしい限りです。故に今後は更新もさることながら「過去記事の活用しやすさ」を重点として工夫をしてみたいと思っています。(尚、当ブログの継続(掲載)期間は当初より2020年をリミットと考え、それ以降は完全消滅の予定)

              | 青少年の味方の人 | 霊的考察 | 12:27 | comments(0) | - |
              オリンピックを政治利用して何が悪い?
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                平昌オリンピックが韓国と北朝鮮によって、南北融和路線を目的に「政治利用」されているとの批判的な報道が為されているようだが、そうした論調はあたかも「オリンピックを政治利用してはならない」と言っているようにしか聞こえない。しかし果たして今まで「まったく政治利用されなかったオリンピック」など行われた試しがあったのだろうか?

                 

                例えばその昔「オリンピックは(勝ち負けではなく)参加することに意義が有る」と言われた時代があったが、既にそのこと自体が「参加することによる政治的意義が有った」のだろうし、それ以外にも「国として参加、不参加の意思を示すことで政治的アピールを掲げるケース」は過去にもあった。(モスクワ大会、ロサンゼルス大会など)

                またオリンピックが商業主義に転じてからは、経済効果への期待から国や開催都市による「経済政策」に積極的に「政治利用」されているのではないだろうか。(そうでなければ誘致に賄賂が飛び交うわけもない。)

                 

                つまりオリンピックは昔からしっかりと各国の国策や思惑が絡んで「政治利用」されて来ており、そのことを以って批判するのは当たらないばかりか、曲がりなりにも「平和の祭典」などと呼ばれているのであれば「南北の融和や緊張緩和」は、むしろオリンピックの主旨に沿うものという見方さえ出来よう。

                となればそうした批判の裏側には「南北が勝手に融和、統一路線に舵を切るのはけしからん」といった「南北の緊張関係を存続させたい輩」の理不尽な言いがかりが見え隠れしているように思えてならない。

                これは日本が今の朝鮮と同じように「70年余りも東西に分断されている状態」を想像して見れば一発で解るはずだ。

                 

                余計なお世話だ!

                | 青少年の味方の人 | 国際社会 | 11:41 | comments(0) | - |
                金融崩壊が政権の命取りになる
                0

                  ニューヨークでの暴落に端を発した今般の株式市場の混乱的状況に対し、テレビのコメンテーターたちは口を揃えて「調整時期に入った」と言い、ニュースはしきりと「コンピューター(のアルゴリズム)を利用する投資家が多いため激しい乱高下が生じている」などと伝えている。だから一過性のもので心配ないと言いたいのかも知れないが、そのまま受け止めれば「コンピューター取引によって(経済の実体を伴わない)異常な状況が作り出されてしまい、今度は(その同じアルゴリズムによって)調整という名目で株価が乱高下させられている」ということであるとすれば、問題の本質はそもそも投資家の身勝手な蓄財のためには「異常な状況をも許容する市場の体質とシステム」にあるとしか言い様がない。しかもそんな一部の人間たちの「マネーゲーム」の煽りを食って社会経済全体が不安定な状況に晒されるなどまっぴら御免だ。

                   

                  暴騰、暴落などと言葉にするのは簡単だが、それは今まで存在しなかったお金が突然湧いて出たり、目の前に積み上げられていた札束が一瞬にして消えて失くなるのと同じ現象だ。何故なら暴騰、暴落の前後で「物理的状況」は何ひとつ変わっていないからだ。となれば唯一の合理的判断として「(物理的価値と乖離した)バブル経済を絶対に容認しない」ということでしかない。そうすれば暴騰や暴落を見越して(或いは演出して)大儲けしようなどという浅ましい人々の出番もなくなるだろう。(そういう人々はおそらく他人の命などどうでも良い極めて反社会的な思想の持ち主に違いない。)

                   

                  人間というものはお金に卑しく、浅ましくても余り罪悪感を持ち得ないらしい。おそらくそれが「他人を殺傷する」という感覚と結び付きにくいせいもあろう。だが「経済制裁」が戦争に発展する例が(日本もそうだったように)数限りなく在ることを見ても、借金を苦にして自殺する事例を見ても、お金に対する心ない振る舞いが他人を死に追いやるなど常識だ。

                   

                  そう言えば昨今、国会でも「アベノミクスの失敗」が取り沙汰されているようだが、意外にも金融崩壊が政権の命取りになるかも知れない。

                  | 青少年の味方の人 | 政治・経済 | 09:17 | comments(0) | - |
                  価値観の逆転は仮想現実の終焉を意味する
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                    人々の誤った価値観は、真実や事実の誤認によってもたらされますが、その真実や事実の誤認は「意図的に操作され作り出された誤った視覚、聴覚、体感情報それ即ち仮想現実」によってもたらされます。

                    具体的にはテレビの番組やコマーシャルで特定の物品に対して「みんな持ってる」「みんな大好き」と繰り返し連呼するだけで、それが「自分にとって必須の価値有る物」と視聴者側に感じさせることが出来、またそれと同じく特定の人物や職種、立場の人々を繰り返し持ち上げ高く評価し、さも価値有る人々あるいは権威有る人々であるかの如く謳えば、その人たちの言動は自ずと高い評価を以って受け入れられることとなるでしょう。

                    このように(自然発生的にではなく)人為的に操作され演出的に作り出された「真実や事実の裏付けを持たない価値観」に覆い尽くされた状況を「仮想現実」と言うことが出来、当然ながらそれは或る特定の方向に人々(=社会)を誘引することが目的のものです。

                     

                    例えば今や「スマホ社会」と言っても過言ではないほどのスマホの普及率の裏側では、かなり以前からその電磁波(マイクロ波=電子レンジと同じ)による人体への悪影響が懸念され続けていますが、仮想現実の日本社会では「(総務省からして)そうした話は無いも同然」として来ました。(学者や有識者や役人の判で押されたようなテキトーな話を真に受けて仮想現実を謳歌し続ける限り、今後も死人や病人が増え続けることとなるでしょう。)

                     

                    それから仮想通貨の暴落に留まらず、とうとう株式市場の暴落が始まったようですが、以前から申しているように「物理的な価値の裏付けのないお金に元々信用の根拠は存在しない」のが物の道理ではないでしょうか。即ち近年の株価の高騰はそれこそ「人々を何らかの誤認に誘導することを目的とした大掛かりな仮想現実」そのものであったと言えます。この先理想的には「お金は物理的な裏付けを有する本来の価値」まで戻るべきでしょう。そして株価もそれぞれの会社の本来の価値を表わす価格であるべきでしょう。

                     

                    こうして現在の「仮想現実」を演出している多くの誤った事象や認識のひとつひとつが陽光に晒され風化して剥がれ落ちて行くたびに、人々の認識が自ずと是正、修正され、正しい認識に基づく価値観が新たな社会理念を形成して行くこととなるでしょう。

                    それはもちろん「受動的な意味」ばかりではなく、私たちひとりひとりがそうした変化の中で「最善を尽くす」ことが求められることとなります。

                    | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 09:28 | comments(0) | - |
                    76億人も76人も同じで何が悪い?
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                      世界の人口は現在76億人との事だが、そこには当たり前のように暮らし向きや生活環境の地域格差や階層格差が有り、ある資料に拠れば世界の人口の概ね30%に当たる人々が「貧困状態」にあるとされている。これは例えば小学校の或る学年で25人編成のクラスが3クラス有るうちの、ほとんど丸々1クラス分が「貧困状態」という状況と同じで、ただ教室の隣り合ったお互い顔見知りの人たちと、世界中の行ったこともない国の見たこともない人たちとの違いが有るに過ぎない。数だけの話であれば「全体の30%」は到底看過できる割合とは言えない。(しかも「貧困」の目安となる生活水準の世界標準は一日当り120円〜240円付近がリミットとされていて、それ自体が日本の感覚からすると低すぎる。)

                       

                      例えば前述のクラスのような76人のお互い顔見知りの社会で、それぞれが自分の取り分を少しでも増やすことだけを考えたり、困窮する他人の事を「努力が足りない」だの「自己責任」だのと冷たく言い放ち見向きもしなければその後いったいどういうことになるかぐらいは誰だって想像が付くだろう。即ち76人の関係性は極限まで荒れ果て、抗争や騙し合いが絶えず、遂には死人さえ出ることになるだろう。それは今現在世界で起こっていることのミニュチュア版に他ならない。

                       

                      誰だってたった76人の中ではさすがに「それはまずい」と思う。故に自己主張も「チマチマしたイジメ」程度で収まっているとも言えよう。だがそれが760人だったら、7600人だったら、7万6千人だったら、そして遂には76億人の下では堂々と「己の欲望を謳歌し満喫して構わないと考えるバカ」がいる。

                      先程も言ったように、同じことを76人の中でやれば死人が出るとすれば、76億人の中で更にスケールの大きなことをやれば更に多くの死人を(自分が)出していることぐらい解りそうなものだが。

                       

                      要は「76人の中でやれない事は76億人の中でもやってはいけない」という話だ。その中で己の欲望のみを追求すれば、(法的にどうあれ)結果として有限な資産を不当に独占することとなり、その分他人が貧しくなり追い詰められ、やがて命さえ絶たれる事になるのは明白だ。

                      これは「無神経」で済まされない問題で、そこまで冷徹、もとい冷酷になれるのは「悪魔とその手下の人間」ぐらいなものだろう。

                      | 青少年の味方の人 | 国際社会 | 10:11 | comments(0) | - |
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