ふつう「社会の進展」というと、テクノロジーの進歩や居住環境の改善、安心、安全性の向上など、明らかな形となって実感できることを指すと思いますが、この場合の「進展」はそういう意味ではなく、単に「おかしいもの、変なもの」に対して「おかしい、変だ」といった認識が進みつつあることを指します。
そうした認識が初めのうちは「何かおかしい」といった疑惑や疑念に留まっていたものが、やがて「明らかにおかしい」となれば、これはもう物事が大きく動く(変わる)前兆と言って良いでしょう。そして現在は最早そうした段階ですから、程なくそうなると思われます。それは文字通り、形としての社会の「変動、変化」であり、或いは「瓦解、崩壊」を指しますが、その過程を経なければ私たちが真っ当な社会を迎えることは決してできないと思われます。
何故なら、私たちが違和感を禁じ得ない社会は偶発的に生じた結果などではなく、むしろ意図的に構築されたものだからです。しかもその意図にこれまで無意識的に賛同してきたのが私たち自身なのですから、謂わば「自分の首を自分で絞めてきた」ようなものですが、それを直ちに止めましょう。自分のポジションに於いて一人ひとりがそうするだけで世の中は確実に変わります。(既に多くの人々がそれを始めています。)