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心は常に計測され数値化され評価されている!
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    今日のタイトル「心は常に計測され数値化され評価されている」・・・こうした概念を持っている人は、今現在生きている人の中でおそらく圧倒的に少ないと思いますが、これは紛れもない事実です。何故ならそのようなシステムが実際に存在し、それが一年365日昼夜兼行運用されているからです。つまり「心」とは、決して我々が想像するようなアバウトなものではなく、漠然と存在するものでもなく、増して脳神経によって生み為される妄想的産物などではなく、むしろ理路整然と構築され認識されるべき存在であるということです。何故なら「心」こそが、人間の実像、実体そのものと言えるからです。ですから生きている人間の場合は「心」が本体で、体はそれに「付随するもの」として存在という認識が正しいのです。それが証拠に、心の状態は人相や風貌に反映しますがその逆は有りませんし、「心因性」といった診断の有無に関わらず、体調不良や病気の根源から「心の問題」を完全に切り離す事は困難で、むしろ不自然と言えます。(例えば生活習慣病など・・・)

     

    ところで「心は常に計測され数値化され評価されている」って・・・いったい誰に?・・・そんなこと、決まってるでしょう。とにかく自分の心と向き合うことです。

    | 青少年の味方の人 | 霊的考察 | 09:01 | comments(0) | - |
    「○○は必要!」という勘違い(=誤認、錯覚)
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      これは近年に於いてはもっぱらスマホ、SNS、インスタ、ラインなどを始めとする、主にネット上で主流とされている種々の会員サービスなどの大半に当てはまる事と言え、古くはテレビ、新聞などの慣習的な視聴、購読にも遡る。それらの共通する最大の特長は「便利」であることもさることながら、むしろ「それをしないと取り残される的な強迫観念」にあると言え、これはちょうどファッションに敏感な人が流行のファッションに乗り遅れた格好で街を歩く時に受ける「疎外感や劣等感」と同等か、より深刻なものと思われる。サービスへの依存度は人によって様々だろうが、場合によっては「無くてはならないもの」「無いと生きられない」ぐらいの感覚かも知れない。しかし現実にそれで生きられなくなるとは考え難く、その時点で既に物事や状況に対する誤認、錯覚が起きていると思われる。

       

      人が利便性の高いものや主流と言われるものに飛び付く気持ちも解らないではないが、その一方では同時にそうした新たな土壌や環境が様々な悪意の温床ともなり、詐欺や成りすまし、イジメ、ストーカー行為、誹謗中傷、フェイクニュース、不適切な煽動や勧誘、個人情報の漏洩などの被害が跡を絶たないのも事実だ。

      現在の環境が「自分にとって本当に(正しい意味で)必要な環境」ならまだしも、必ずしもそうでないならわざわざ「荒れた環境、危険を伴う環境」に(ちょっとぐらい便利だからといって)身を投じる必要はないし、少しでも不安や違和感を感じたら可能な限り速やかに撤退すべきだと思う。そうしたからといって後々困る事など殆ど無い。

       

      因みに自分の場合、現時点で主流とされているサービスの殆どに未加入、もしくは撤退していますしスマホも持っていませんが、社会生活上も何ら不便は感じておりません。パソコンもLinuxで十分。(スタンドアローンの作業用Windowsは有りますが)

      所詮、個人的環境に於ける便利とか不便とか必要とか不要とかは自分で感じて決めることだと思っています。

      | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 12:32 | comments(0) | - |
      せっかちな人には判らないかも知れないが、
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        世の中は嘗て無いほど猛烈なスピードで「従来的価値感の崩壊及び再構築」が起きています。それは端的に言えば「行き詰まりの結果による当然の帰結」としてもたらされていると考えられます。それは国際社会然り、日本社会然り、また個々人の内面に於いても然りであって、何れも「無理を重ね続けた結果の表れ」と見ることができます。何故なら「無理は理に無いこと」であって、一旦は押し切ったとしてもそれは極めて不自然、不安定な状態に過ぎず、土台保つ事自体が不可能な代物だからです。

         

        物事は(人人の思惑はいざ知らず)全体としては必ずや現状をより自然でより安定的な状態に移行させようという方向性と力が働くもので、それをいち早く感じて流れに沿った生き方を選択することが重要かつ正しいと言えるでしょう。何故なら(物の道理として)個々の繁栄や発展も当然その先にしか無いと考えられるからです。

         

        一方で、そうした自然の摂理に準じた流れを無視、或いは感じることすら出来ずに、相変わらず「従来的価値観に固執した生き方から脱却出来ない人々(例えば金と権力、弱肉強食etc...)」もいますが、前述の理由によって既に「一寸先も闇」のリスクが迫っていると考えて良いでしょう。というより現状の「固定観念自体が既に何も見えていない状態」というのが正しい認識です。(ハッキリ言って危険です!)

        | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 11:36 | comments(0) | - |
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