当ブログでも繰り返し取り上げてきたように、今年(2018年)は「対峙の年」で有りましたし、国際社会はもとより日本社会に於いても様々な「対峙の構図」が浮き彫りにされたことは事実です。問題は「対峙することの持つ意味合い」ですが、その多くが「強者対強者」ではなく「強者対弱者」の関係性のもとに為されたものであることは極めて重要です。
振り返れば「対峙とは(強者にとっても弱者にとっても)ラストチャンス」の意味合いであったことは相違なく、その結果としてもたらされたのが社会に於ける(人間の)「二分化」と言っても過言では有りません。これは分かりやすく言えば、今まで混じり合ってグレーの色合いを呈していたものが、対峙によって本性(価値観)を曝け出す事態に追い込まれ、その結果(図らずも)白か黒かを自ら選択せざるを得なくなるということです。
その際、論理的には常に「どちらが白でどちらが黒かは明白」ですが、意外にも多くの人たちがせいぜい数十年でしかない自らの経験に基づく(浅薄で矮小な)固定観念にしがみつく様には、到底驚きを禁じ得ません。(そうなると過去の偉人、賢人たちの遺した格言や歴史的教訓も全く役に立ちません!)しかしそれが自然現象であろうと人為的なものであろうと、もたらされる結果は常に「真理→道理→論理」によって導き出されたものでしか有り得ないのですが・・・。
その意味で、来年は「結果の年」であり、それが人によっては「驚天動地の出来事」と感じたり「有り得ない出来事」と感じたりするであろうということです。