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NHK西東京営業センターへ行ってきました。
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    NHK籾井前会長の「政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」という、謂わば政権への「忖度宣言発言」以来、年に2回のペースで(地域の受信料徴収業務を行う)NHK西東京営業センターの担当者(主任クラス)にアポを取って「意見、感想、評価を伝えるため」毎回こちらから出向いております。その上でこちらが納得出来れば「対価」として過去の受信料を払うという条件であって、近年のNHKの著しい劣化からしても当然先払いなど出来る状況ではなく、それが私なりの物事に対する「対峙」の有り方です。そのための下調べをしたり、根拠となる記事や記述のプリントアウトを持参したりと、はっきり言って面倒くさいですが、およそ「対峙」とは面倒くさいものであり、またそれ無くしては物事を先に進めることは出来ないと理解しています。ここで1つ重要な事は、対峙とは「争う」ことではなく、「身を以って説得に務める」ことだということです。

     

    今回、担当者に伝えた要点は以下の通りです。

     

     

    ◎ NHKの元記者、相澤冬樹氏の告発に対する不誠実な対応。

     

    ◎ NHK番組「日曜討論」に於ける安倍総理の「あそこの珊瑚は移植した」発言への疑義に対する不誠実な対応。

     

    ◎ 岩屋防衛相の「脅威を感じるのはむしろ丸腰の哨戒機」報道の垂れ流し。(哨戒機は艦艇攻撃可能機種)

     

    ◎ NHK上田会長のステルス性が「NHKの変質」に拍車を掛けている。(籾井氏の方が見える分まだまし)

     

    ◎ 結果、NHKは恣意的、意図的に報道を歪めているか、もしくは天然ボケの集団かの2つに1つだが、後者は考え難い。

     

     

    しかしながら今年はすでに「対峙の年」ではなく「結果現象の年」なわけですから、巨大組織NHKとて予断を許さない状況に陥りかねません。

    今後は、自分の人生を自分でプロデュースする気概の無い人は(たとえNHK職員と言えども)非常に厳しい局面に追い込まれるに違いありません。

    | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 09:33 | comments(0) | - |
    「悪は悪を以って制する」とは?
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      本年2019年は「結果現象の年」という当方の見立てについて、もう少し説明を加えて見たいと思います。

      2018年に巻き起こった「対峙」の流れによってより鮮明となった人間社会に於ける「(価値観の)二分化」の後に来るものは、決して相容れない価値観によってもたらされる離脱、分離、独立などの「双方の関係性の実質的な希薄化」と言っても過言ではなく、これは単純に「いたたまれない所にはいない」という、謂わば「物理的な二分化(=住み分け)」という動きに発展するかも知れません。

       

      こうした際の押さえておくべきポイントが2つ有ります。

      1つには、現状の社会構造、組織、枠組みにあくまで居座り続けようとするのは、より既存の利権や物的な執着の強い側であるということ。

      今1つは、敢えて対峙することを避けた謂わば「沈黙する人々」に対する捉え方や処遇の問題ですが、こうしたケースに於いては(結果的に)成り行き任せ=長いものに巻かれる=(社会的)責任感の欠如とみなされても致し方なく、そうした意味で(無意識に)「二分化」の一翼を担っていることになります。

       

      また「対峙」が本格的な戦いの前哨戦の如きイメージも、明らかな誤りです。何故なら現社会に於ける対峙の構図の殆どには、何がしかの「倫理的、道義的是非」を問う意図が含まれており、それは究極的には物事の解決手段としての実力行使(=戦争)の是非をめぐる二分化とも言えるからです。ですから、もし対峙から武力衝突が起きたというのであれば、それは(暴力団同士の抗争と同様に)同じ価値観を持った者同士の単なる覇権、勢力争いに過ぎません。

       

      さて、仮に今まで善意と悪意が入り混じって混沌としていた社会が、まるで遠心分離器に掛けられた如くに善と悪、或いは正義と不正義に二分化(=住み分け)されてしまったとしたら、その後いったい何が起こるのでしょうか?

      やはり特筆すべきは(善意というターゲットを失った)悪意同士の凄惨な潰し合いでしょう。何故なら善意との関わりの断たれたそのような社会では、もはや倫理や道義という概念すら存在しないであろうからで、それ即ち「自滅」を意味します。

      つまり「結果現象」には「離脱と自滅」の2つのキーワードがついて回るとも言えるでしょう。

      | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 09:53 | comments(0) | - |
      2019年は「結果現象の年」です。
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        これまでも当ブログでは年頭(或いは前年12月)に「今年(来年)はどういう年?」という主旨の記事を掲載してまいりました。例えば2016年は「変動、変化の年」2017年は「瓦解、崩壊の年」2018年は「対峙の年」といった具合です。

        その意味では今年2019年についても、昨年12月4日と29日の記事で「結果現象の年」とさせて頂いております。これは文字通り「原因に対する結果が形となって現れる」という意味でしか無く、良い原因であれば良い結果が、悪い原因であれば悪い結果がそれぞれ生ずる(=現れる、起きる、見舞われる)ということです。

        この場合、重要なポイントは「良い、悪いの基準があくまでも論理的な正誤によるもの」ということで、必ずしも「一生懸命やった、頑張った」からといって単純に努力の分だけ結果が付いてくるとは限りません。その意味では今年は正に私たち全員にとっての正念場とも言え、自らの価値観の正誤(=白黒)が明らかとなる年と言えるかも知れません。(但し、それを認めるか認めないかは当人次第でしょうが・・・。)

         

        「無理」という言葉を思い起こして下さい。これは「理に無いこと」という意味であって、理に無いこと(=論理的誤り)を以ってして最終的な結果を導き出すことは(ナンピトタリトモ)不可能であることを言い表しています。

         

        | 青少年の味方の人 | 日本社会 | 12:34 | comments(0) | - |
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