青少年の何でも書き込み寺 (大人も可)

世の中や生き方についての疑問、質問など、何でも受け付けます。コメント欄(Comments)に書き込んでください。

ただ言いたいこと、書きたいことを書くだけでもOKです。(その場合は「コメント不要」と書き加えてください。)

当然ですが、法に触れるようなことは公表できません。また、他人の実名入りなども同様です。
そのような内容はメールでお願いいたします。(プロフィールにあります。)

なお、本名での書き込みはプライバシー保護のためお勧めしません。(ハンドルネームなどご利用ください。)

※当サイトは基本的にリンクフリーですが、貼り付け先等ご一報頂ければ幸いです。
真っ当な人々は「希望的観測」をしていない
0

    一昨日もまた「今村復興相の激昂問題」で、「自主避難者は自己責任」などのトンデモ発言が飛び出すなど、現政権及び現役閣僚に対する国民の不信感は募る一方と思われる。

    関連記事の外部リンク→ http://lite-ra.com/2017/04/post-3051.html

     

    これらの真実が露呈するのは、一重に(昨日の記事にもあるように)真っ当な人々の地道な活動有っての賜物と思う次第だが、それではその「真っ当な人々」は希望的観測のもとに明るい展望を描いているのかと言うと、必ずしもそうとは言えない様だ。中には(冷静に分析した上で)「現状は既に末期的様相を呈しており、社会の致命的崩壊は避けられない」と判断する向きもある。つまり平たく言えば「もうだめだ、間に合わない!」という話である。

     

    例えば「声を大にして正論を唱えたからと言って、必ず(望んだ)結果が付いてくるとも限らない」という事は、確かにあるだろうし、そればかりか(現状の如く客観的には)「もはや手遅れか」と思いつつも、結果的に終始一貫した行動を取り続ける場合もある。それはどうしてだろう。そして何のためだろうか。

     

    そこには何の理屈も無い、単に「自らの人間性に従う」という行動原理が在るのみである。それは本当に「損とか得とか」「上手く行くとか行かないとか」といった話とは無縁で、ただ「人間性を貶(おとし)めてはならない」という一念に尽きる。故に行動自体が「結果に左右されない」のだ。

     

    「何故そんなことをする?」「何故それがいいのだ?」

    答えは簡単だ。「人間性に従うこと」こそが、この世で唯一「間違いなく自分にも良い、人にも良い選択肢」であることを知っているからだ。

     

    そう思えない人は「物の見方を知らない人」と、敢えて断言出来ます。

    | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 15:35 | comments(0) | - |
    真っ当な人々の地道な活動が始まっている
    0

      当ブログの目的は、世の中の個々の事件、事案、事象の精細な分析や実務的で具体性を持った提案ではなく、あくまでも「より良い基本理念」の提示、提案に留まりますが、その理由はもちろん、私自身がそうした専門性を持ち得ず、そうした役割をも持ち得ないからです。

       

      一方で世の中は「役割分担」で成り立っていて、それぞれの役割はそれぞれの専門性を持った人々によって担われているはずですから、そうした人々がそれぞれに「社会的責任」を正しく理解した上で「与えられた役割を果たす」というのが、社会の(目に見える部分での)在るべき姿と思われます。

       

      つまり受け入れ難い社会の不備や歪みの本質は、人々の「社会的責任の欠如、無理解」に集約されるということですが、そのことは人々が「自分と他人を天秤に掛けた場合のバランス感覚の狂い」によって簡単に証明することが出来ますので、その狂いを修正しない限り、そうした問題は永遠に解決しないことになります。

      これは言い換えれば人々が「失われた人間性(品格)を取り戻す」ということを意味します。

       

      不思議な事に私たちの社会は今、ネットを中心にこの「人間性を取り戻す」流れが着実に出来つつあるように思えます。しかも心強い事には、それらの流れの先鋒に位置する人々の多くは専門性や実践経験が非常に豊かで、単なる机上の空論に終わらない強力な理論武装を備えた才能溢れる人たちの様に思えます。

      それらの有能な人々の言葉や文章の特徴は、安定感があり、決してむずかしくなく、短い言葉でも心にスッと入る「優しさと力強さ」の両立した心地良さがあるということでしょう。(それは物事を「頭でこねくり回していない」証拠でもあります。)

       

      この「真っ当な流れ」を止めることは誰にも出来ないでしょう。(たとえ大手メディアが逆立ちしても。)

      | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 10:32 | comments(0) | - |
      今世の中で起きている事を総括すれば
      0

        社会構造はすべてシステム化されており、その社会に身を置くすべての人は老若男女を問わず、個々のシステムの何れかの部分(パーツ)と職業的かまたはそれに準じた何らかの利害関係で繋がっているものと考えられます。これは極めて当たり前の構図です。何故なら仮に(社会と繋がる事に)「利得」が一切無く、逆に「損害」しかなかったとしたら、その社会に身を置く意味すらないからです。

        ですから社会が成立、存続するためには(その社会を)構成する人々に対する明確な「利得」の提供が不可欠であるのは言うまでも有りません。

         

        ところで健全な社会のシステムは、その中枢から枝葉の如く伸びた末節に至るまで、どの部分での関わりに於いてもすべて「社会全体に対する貢献の一役を担う」という意味を持ち得るものであり、そこに正当な評価が為されると共に正当な対価がもたらされなければなりません。何故なら社会ではその部分での正当性が失われる事により、たちまち不公平や不平等といった深刻な問題が生ずるからです。

        この社会に於ける不公平、不平等は多くの場合(権力の乱用等によって)「意図的」に作られます。何故なら、自然発生的な場合にはすぐに是正の方向に向かい、常態化しないはずだからです。

         

        しかし気が付けば私たちの社会は、いつのまにかこの「不公平、不平等」を容認する方向へと向かわされています。その一番の要因は、「それは自由競争による勝敗の結果であり正当なものである」という理屈であって、それを人々に刷り込むために(実生活とは関係の無い)「スポーツなどでの勝負、勝敗」をやたらと喧伝し、勝者を称賛する方法が用いられています。(「オリンピックは参加することに意義がある」はもはや死語です。)

        政界や財界に於ける「権力闘争」も、こうした「勝ったもん勝ち?」の如何わしい空気の中で正当化される事は当然ですが、更にはこの(スポーツになぞらえた)勝ち負け自体が始めから(まともな勝負とも言えない)「出来レース」に過ぎないということです。(政財界の二世、三世など何の勝負もしていません。)

         

        つまり「自由競争」と言いながら「出来レース」で勝った事を理由に「勝者、敗者」の差別化を(勝者自らが)容認し、社会の「不公平、不平等をも正当化」してしまうという危機的状況にも関わらず、(スポーツファンであるが故に)この際権力に擦り寄るか(それとも潔く)負けを認めて惨めったらしく生きるかの選択肢しか持てない、というのが「今世の中で起きている事」です。

         

        このようなインチキな社会はまもなく崩壊します。何故なら「中身の無いがらんどう」だからです。その後にみんなでしっかりと身の詰まった社会を再興するとしましょう。

        | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 09:57 | comments(0) | - |
        「我が国と郷土を愛する態度」を養った結果
        0

          4月2日の「リテラ」の記事で、図らずも当ブログの3月26日の記事『森友問題はそもそも「教育基本法改悪」の問題』に於ける指摘が(塚本幼稚園新理事長)籠池町浪氏の証言によって「事実」と裏付けられた事は、まことに喜ばしい限りである。(クリックでそれぞれのリンク先が開きます。)

           

          つまり安倍政権の真の目的は「愛国教育」を浸透させると共に、種々の高圧的法案を可決成立させる事で「国民の自由を大幅に制限」し、日本を国家主義の独裁政権による「全体主義国家」に変貌させることであった事が「森友学園問題」を機に一気に国民の前に露呈してしまったということだ。

           

          こうなると「決められる政治」「日本を取り戻す」とは当初からそういうことを意味していたとしか思えない。また「美しい日本」とは「政府の意図する公共に盾付き仇為す(ゴミとおぼしき)不貞の輩を徹底的に取り締まり一掃する」という意味にも思えてくる。いわゆる「監視社会、警察国家」そのものである。

           

          モノの考え方は人それぞれで結構だが、個人的にはこのような安倍政権の考え方が国民の総意を反映しているとは到底思えない。だからこそ国民の前に「本音を隠し続け、憲法違反も疑われかねないギリギリの線」でこそこそやる必要があったのではなかろうか。(ギリギリ、こそこその詳細は割愛します。)

          今回のようなことが有ると、そう思われて然るべきだろう。

           

           

           

          | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 10:26 | comments(0) | - |
          近年に於ける「大人と子どもの逆転」
          0

            国連の「核兵器禁止条約交渉」に、唯一の被爆国である日本が「不参加」を表明した。これは裏を返せば現状、日本が「核兵器は必要」と表明したと受け取られ兼ねない話になり、多くの国民感情に反したものとしか言いようがない。政府としては「それが大人の決断」と言いたいのだろうが、違うと思う。

            関連記事はこちら→ http://www.asahi.com/articles/ASK3X1D0NK3WUHBI03G.html

             

            長らく「大人と子どもの違い」は、多くは経験則に基づく「視野の広さ」にあると思われていた。(深さは余り関係無い。)そして視野の広さが未来であるところの「先々の見通し」に通じるものと信じられていた節がある。だから親は子どもに「勉強しろ」とか「○○を目指せ」とか、ああだこうだと上からモノを言えたのだとも思う。その根拠は「子どもは3日先ぐらいのことしか考えられないが、親は10年、20年先を考えてやれるから」ということに違いない。だが、果たしてそれは本当だろうか?

             

            例えば広島や長崎の原爆の怖ろしさを教わった子どもたちは、間違いなく声を揃えて「(核兵器)絶対反対」を唱えるに違いない。しかしそれは決して「3日先」の心配だけをしたものではなく、それこそ10年、20年、或いは100年先を考えてのことかも知れない。

            一方で今回「核兵器禁止条約交渉不参加」を決定した大人たちの頭の中に到底10年先のビジョンすら在るとは思えず、せいぜい「(政治的な)当面の事情」でしかないだろう。事と次第ではそれも結構だ。しかし事は「核兵器のない世界」に対する意思表示の問題だ。

             

            これはせっかくの経験則が視野の広さ、先々の見通しに向かわず、それこそ「全て目先の個人的な利益に結び付いてしまう」良い例であって、今の大人たちの大半には、その傾向が見られるようだ。

            それを思えば、少ない経験を精一杯未来に向けようとしている子どもたちの方が100倍ましだと思う。

            | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 10:08 | comments(0) | - |
            何でも程々が良い
            0

              今の世の中のあらゆる間違いの元凶は「競争至上主義」にあると思います。競争至上主義者の論理は、おそらく「他者との競争があるからこそ、そこから弛まぬ進歩と向上が生まれ、それが社会貢献となる」ということではないでしょうか。聞こえは良いですが、要は「自由主義経済に伴う勝者と敗者の存在」を肯定している訳です。

               

              しかし、この話には大きなごまかしが存在します。それは「物質的な進歩と向上」を必須とする考え方に在ります。

              まず「新製品」なるものが「誰がどれだけ望んでいるのか」「その望みが将来にわたって正しい望み方なのか」などの検証に基づいて開発されている事はむしろ稀でしょう。そうではなく(テレビCMなどを見る限り)企業の側の一方的な販売計画に基づいて「たいして必要でないものを如何に欲しがらせるか」「その気持ちを如何に連続的に持たせ続けて行けるか」に(必要性そっちのけで)重点が置かれているとしか思えません。

              つまり売る側は「煽って煽って煽りまくって」買わせ続け、それが最も成功した企業が「勝組」とされている訳です。これはそうした「マインドコントロール」に成功するかしないかという、製品そのものの必要性にはほとんど無関係の話と言って良いでしょう。

               

              一方で「競争至上主義」によって社会が被る破壊的な被害は計り知れません。

              最も深刻な問題は子どもの頃から人々の心に「負けたら大変だ」という潜在的な恐怖心が植え付けられることです。それは「人に遅れを取らない」などという自己の内部で完結出来る話には到底収まり切れません。それこそ他人を「潜在的な敵」と見做さない限り、本質的な解決には至らないのです。それはやがて「他人の幸せを疎み、他人の不幸を喜ぶ体質」へと人々を変えて行きます。更には「勝つことのみが善」であるかのような極めて歪んだ価値観が形成され、本人の中では「それに従う思考と行動こそが正しい」という認識となります。

              そう、すべては「競争至上主義」から始まったのです。

               

              「競争至上主義」から抜け出すには「多くを望まないこと」に尽きます。何でも程々が良い。それによって「マインドコントロール」から開放されるはずです。

               

              | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 12:32 | comments(0) | - |
              「メチャクチャ政権」崩壊の連鎖に備える
              0

                安倍総理自らが国会の場で言及した「辻元清美議員に関する疑惑報道」が関係者の証言の下、全くのデマであった事が明らかになりました。

                関連記事はこちら→ http://lite-ra.com/2017/03/post-3036.html

                 

                こうなるともはや「森友学園問題」の究明を拒み、早期幕引きを図る官邸側の答弁が何ら根拠を持たない「単なる希望的観測」に過ぎない事は明らかで、当初よりそこには論理的整合性の欠片もなく、言うなれば私たちは日々「メチャクチャな話」を「公式な政府答弁」として聞かされてきたということです。

                何故ならそこに幾つかでも真実があったなら、現在の様な「絶望的な追い込まれ方」にはなっていないはずだからです。

                 

                ところで何故「メチャクチャな話」しか出来ないのかと言えば、それは「メチャクチャな事ばかりやっている」からに相違ありません。そもそも「森友学園問題」の発端は「官邸ぐるみの愛国教育推進」にあって、それ自体が教育機関による特定の思想教育という法令違反の恐れのある、いわば「メチャクチャな話」であり、故にその事実を隠蔽せざるを得ないという事情が底辺にあると思われます。何故ならそれは本来、国民の総意を踏まえた上での「憲法改訂」を待たなければ行えない性質のものであるからです。

                 

                このように現政権は正攻法とは程遠い「拡大解釈やからめ手、或いは強硬手段」などを講じて他にも「安全保障や経済」を始め、これまであらゆる「メチャクチャな話」を押し通してきた経緯が有ります。

                それは概観的に見れば「第一次安倍政権」でメチャクチャの種を蒔き、それが「第二次安倍政権」になって芽を出し花を咲かせ、ようやく実を結ぼうとしているということです。更に言うなら収穫直前に「超弩級の台風」に襲われ、10年間の努力の全てが今まさに水没しつつあるというところでしょうか。

                 

                ですから政権側の心情として、なり振り構わず必死に食い下がろうという気持ちも分からないでは有りませんが、元々が「騙し」であり「卑怯」であり「違法」であるからには、それが露呈した段階でどうあがいても無理です。結論として(民主主義の名の下に於いて)「こんなメチャクチャでデタラメな政権は嘗て無かった」ということになります。

                 

                私たちの社会に対して、この「10年」がもたらした影響は決して小さいものでは有りません。「メチャクチャな政策」を無理やり押し付けられた事によって、すで社会の至るところに致命的な歪みが生じており、この政権の崩壊と共にそれら不安定要素を抱え込んだ様々なシステムや構造物が一気に瓦解、崩壊していく恐れを否定出来ません。そしてそれらの衝撃や余波が私たちを直撃するかも知れません。

                 

                もしそうなった場合、私たちはそれを甘んじて受けるべきです。そして同時に民主主義の下での私たち一人一人の責任と役割の大きさを再認識する機会と受止めるべきだと思います。

                それが出来れば(社会として)二度とこのような失敗はしないはずです。

                | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 09:04 | comments(0) | - |
                「森友学園問題」に於ける官邸側の答弁
                0

                  「森友学園問題」では、これまで籠池氏側から総理夫人付に送られた書簡の「封筒のみ」の提示だったものが、遂に(共産党の独自入手とされる)手紙の全文が公開され、そこには「FAXによる解答」の元となった「籠池氏側から国に宛てた要望の数々」が具体的に認(したた)められており、当該のFAXがこれらの要望に対する直接的な解答だった事が改めて明らかになった。(詳細は以下の記事で確認出来ます。)

                  http://lite-ra.com/2017/03/post-3031.html

                   

                  この期に及んでの安倍総理大臣、菅官房長官らの「何ら問題ない」との態度は、もはや「見苦しい」「聞き苦しい」を通り越して、とても「正視出来ない」ほどの悍(おぞ)ましさを禁じ得ない原因は、その「往生際の悪さ」にあると思う。本当に「見てはならないものを見てしまった」という感は否めない。

                  もちろん官邸側が(というより人間が)そこまで醜態を演じる理由は一つしか無い。即ちそこが最終最後の防御線であり、そこを破られたら間違いなく首を取られると確信するからだ。

                   

                  何れにせよ、そのようなニュース映像こそ教育上「子どもに見せたくない番組」ナンバーワンに違いない。文科省は早速官邸にクレームをつけた方が良い。

                  | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 10:03 | comments(0) | - |
                  森友問題はそもそも「教育基本法改悪」の問題
                  0

                    先頃、道徳の教科書検定に於いて「国や郷土を愛する態度を学ぶ観点から不適切」として「パン屋」から「和菓子屋」に差し替えが命じられた件について論議が巻き起こっている。

                    記事はこちら→ https://www.buzzfeed.com/kotahatachi/fahrenheit451?utm_term=.jhRJmq1ybN#.cwmqVkA2Dp

                     

                    これは文科省によれば「学習指導要領の示す内容に照らして、扱いが不適切」との事らしいが、そもそも「学習指導要領」自体が平成18年に改悪された「教育基本法」に沿ったものであるからには、そこが問題の根源であることは明白である。

                    「国や郷土を愛する」の如くに「郷土(ふるさとの概念)」を差し挟む事で巧妙なボカシを掛けているが、その本命は「国を愛する」即ち子どもの教育現場で一貫して「愛国精神」を叩き込む事にあるのは、これも明白である。

                     

                    このように「強要された愛国」という場合の「国」は、古今東西決して「国民相互の共同体」であった試しはなく、限定された人々による「国家権力」であることは言うまでもなく、更に「愛国教育」の行き着くところは、「国に忠誠を尽くす(=命を捧げる)」であり、これは正に「教育勅語」の『進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ』を体現するものである。

                     

                    今回「森友学園問題」の取り分け「(教育勅語を含む)愛国教育」の是非を問う過程に於いて、奇しくも「平成18年の教育基本法の改悪に言及する意見」が散見されるようになった事は、真に良いことと思う。これを機に少なくとも「愛国教育の是非」についての「国民の総意」を改めて明確にする事が強く求められているように思う。何故なら「文科省を巻き込む愛国教育の喧伝や浸透」のこれまでの過程は、あくまでも一政治団体である「日本会議」を主体とする一部の人々によって進められてきたという経緯があり、それが「国民の総意に基づくものであった」とは言い難い状況であるからだ。(そうでなければ今更「教育勅語」で日本中が騒然となるはずもない。)

                     

                     

                    因みに当サイトは一貫して「教育がすべて」というスタンスをとっています。何故なら良質な教育こそが人々を幸福に導いてくれるものと信じて止まないからです。ただ今回の様に、政治や経済などがそれを阻害する様な振る舞いをする場合に限り、已む無く論じているに過ぎません。

                     

                    | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 09:29 | comments(0) | - |
                    国会は「不本意」な参考人招致へ
                    0

                      昨日の「籠池理事長証人喚問」を経て、森友学園問題ではいよいよ追い詰められた人々が「100%の嘘」を付き始めました。因みに物証の有無の問題を除けば、人が嘘を付いているかどうかは容易に判るものです。(但し当然、その事のみを以って相手にペナルティを課す事は出来ません。)

                      例えば「嘘の比率が50%」であれば、それはまだ「嘘が通り易い」状況と言えなくも有りませんが、人間が追い込まれた挙句に付く「100%の嘘」となると、残念ながらそれが通用する見込みは皆無となります。その理由は簡単で、「嘘を付いている事が誰の目にも明らか」になるからです。

                      「嘘も付き通せば真実になる」と言っても、それはあくまでも「50%の嘘」の話であって、「100%の嘘」が真実に化ける事は決して有りません。(既にその時点でゲームオーバーなのです。)

                      | 青少年の味方の人 | 大人向けの大事なお話 | 10:16 | comments(0) | - |
                            1
                      2345678
                      9101112131415
                      16171819202122
                      23242526272829
                      30      
                      << April 2017 >>