青少年の何でも書き込み寺 (大人も可)

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物事の価値観が180度変わる
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    その瞬間が刻一刻と近づいています。これは単に「価値観が変わる」ではなく、180度とするところに意味が有ります。何故なら「物事の根源的な理解」が覆(くつがえ)るからであり、それによって「社会常識」全般も覆ることになるからです。

     

    「根源的な理解」とは例えば、宇宙とは何か、に始まり、地球とは、世界とは、国とは、人間とは・・・と続く本質的な事物に対する理解のことです。しかしこれらを一つ一つ分けて考えることに余り意味は有りません。これらは或る一つの認識をきっかけとして同時に置き換えられる関係性にあると思われます。

     

    この「(世界的な)価値観の劇的な転換」がどのようにしてもたらされるのか、具体的に示すことは多分困難です。何故ならこれは何千、何万、或いはそれ以上の途方もなく多くの(特徴的な)事象が複雑に絡み合い・・・というより影響を及ぼし合い、融合を重ねながら進められて行くであろうからです。つまりこのような観点から、この事は「誰にも制御は出来ない」ということです。

     

    当たり前のことかも知れませんが、世の中は現状、概ね「マジョリティー(多数派)」とされる人々の価値観を主体として物事が進められていますが、それに対して(本質的な部分で)疑義を唱える「マイノリティー(少数派)」の人々も存在することは事実で、そのような人々への評価が「不適応者」「変わり者」ならまだしも「発達障害」「適応障害」などと見做される事すら有るでしょう。(例えば「嘘が決して付けない人」は発達障害でしょうか?)

     

    しかし既に前述の「価値観の180度転換」に向けた変化は、目に見えない形ではあっても着実に進んでいます。そこには当然「多数派と少数派の逆転」も含まれるでしょう。その中に於いて、最も危険なものは「固定観念」に囚われ続けることだと思います。

    いつ、どの時点で「リセット」を掛けるかは、私たち個々の判断に委ねられていますが、早ければ早いほど良いでしょう。

    | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 08:54 | comments(0) | - |
    霊層は顔に出る!
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      と、ここまで言わなければならない状況を本当に悲しく思います。特に現在「森友学園問題」で、新たに政権側と籠池側という対立構造が生起して以来、互いに相手側の証言を「虚偽呼ばわり」する応酬が続いています。つまり「必ずどちらかが嘘をついている」という状況に於いて、「嘘をついている者が、真実を語る者を名指しで公然と嘘つき呼ばわりする」という、考えように依っては「人として最も醜い行為」を行なっている現場を私たちは否応なしに日々見せつけられているという事です。このようなものが、子どもの教育上甚だよろしくないのは言うに及びません。

      というのも、昔の時代劇では相当の悪党であっても捕り方から追い詰められ「神妙にお縄を頂戴しろ」と言われれば、やおらその場に座り込んで「恐れ入りやした」と、自ら背中に手を回し「往生際の良さ」をアピールしたものです。(つまり当時は「そのような文化や価値観や教育が存在していた」ということです。)

      転じて今は「醜さ」「見苦しさ」「汚さ」が当たり前のように通用する時代という事でしょうか。

       

      またテレビやネットの情報に触れるたびに「嘘をつく本人」もさる事ながら、その人間を取り巻き、「擁護の弁に終止する多くの人々の生々しい挙動」も同時に目にしなければなりません。そうした人々自身は、たぶん全く気付いていないのでしょうが、かなり正確に「私は○○の虚偽を承知で擁護しています」というメッセージが態度や物腰、表情や言い回しから総合的に伝わって来ますが、極めつけは「霊層」に有ると言って良いでしょう。

      この場合の「霊層」とは、「平均霊層」と言うより「瞬間霊層」とでも言うべきもので、「虚偽を承知でそれを擁護」することによる「自らの虚偽(=悪事)」がまさに行われている瞬間の「霊層」ということですから、それがリアルタイムに反映された人間の「相」となると、さすがに「誰の目にも明らか」ではないでしょうか。(霊層が「相」に表れるという概念を有してさえいれば。)

       

      人間は「私心に囚われる」事さえなければ、誰でもそのぐらいのことは判る様に出来ているものです。これからはそういう価値判断を可能とする「わかりやすい時代」に推移して行くものと思われます。

      | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 10:47 | comments(0) | - |
      「命を捧げる」は是か否か
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        「森友学園問題」で話題となった「教育勅語」は、国民は(親であるところの)天皇陛下に命を捧げるべしとされている。そして「教育勅語の是非を問う」とは、正に「それを何と見るか」という話に集約されている。何故なら、他の「道徳的な部分」に於いては(要約するなら)「日々の安心立命を得んが為には縦横の繋がりを重視し必要十分な配慮を怠るべからず」という事であるなら、それは当たり前のことであって、それこそ「格言やことわざ」と同様の文化的な一般論に過ぎないからだ。

        つまり早い話が「教育勅語」を良しとする人は「命を捧げる」ことを良しとし、良しとしない人は「命を捧げる」ことを良しとしないと見て取ることも出来る。(特攻隊を「美学」と感じる人々も未だ根強く存在する。)

         

        この「命を捧げる」という概念そのものが悪いかと言うと、一概にそうとも言えない。

        例えば自然界に於いても「親が子を守るために命がけの行動をする」などの例を見るまでもなく、人間が我が子を命がけで守り育てる事に対して、称賛される事はあっても、決して非難されるものではないだろう。また、多くの人々の窮地を救うため、命を投げ出して尽力する人間像は永く語り継がれ、人の心を打つ物語にもされている。

        つまり「誰かのために命を捧げる」という事自体は、それが「人間性」に裏付けされたものであり、しかも「自発的」なものである限り、古今東西「良い」とされてきた経緯がある。

         

        即ち「教育勅語」的な問題は、「命を捧げるという概念自体」が悪いのではなく、「一方的に指定された特定の存在のために命を捧げろと強要する」という「本人の命にも関わらず、本人の自由意志の完全否定」が教育課程で行われる事が「あってはならない悪いこと」として歴史的に認識されているという事だ。

        例えば「命が大事、自分が大事などと教えるから社会性が失われ、自己本位、自己中心な人間ばかりが増えて世の中が乱れるのだ。」という論調は確かに存在し、その裏返しとして「命を捧げる教育」が善化、美化されるということがあるのかも知れないが、それではただ物事の指針が「両極端」を行ったり来たりしているに過ぎず、何の解決にもならない。肝心な事はバランスであり、目指すべきは「中庸の心」にあるからだ。

         

        人間はとにかく「せっかち」だ。それが証拠にいつまで経っても「人間性をベースとした教育現場」など程遠い状態ではないか。確かに「人間性(=人格)」を養うとは並大抵の事ではなく、時間も掛かるが、その成果としての高い人間性は「オールマイティ」な力を発揮し、無数に存在する社会の不備などあっという間に解決出来るほどの潜在力を秘めている。「急がば廻れ」とは、正にこの事だ。

         

        「命を大事にする」のも「命を捧げる」のも、人間性の中では一つの事として理解されている。

        | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 10:41 | comments(0) | - |
        仕分け台にのせられる人々
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          ※本日は私の別ブログの記事の転載です。

           

           

          自らを「トカゲのしっぽ」と悟った森友学園籠池理事長が、遂に反撃の狼煙を上げた。

          問題は「それ」に対する(関係者を始めとする)人々の反応だ。実際に多くの人々が「それ」に対する態度の表明を余儀なくされている。

          例えば安倍総理を始め政府閣僚、与野党国会議員は元より、各省庁並び大阪府の役人、マスコミ各社とそれに付随するワイドショー出演者であるキャスター、コメンテーター(学者、弁護士、評論家、文化人)など、果ては街頭でインタビューに応じる一般庶民に至るまで、否応なくこの問題のために「仕分け台」にのせられるハメになっている事に果たして気付いているのだろうか。

           

          ここで重要な事は「この事態の結末は既に決まっている」と言う事と共に、人々は「この事態によって本性を炙り出される」と言う事だ。それはこの「仕分け台(=事態)」の上では、人々が謂わば「白か黒か」を容易に判別されてしまう事を意味する。

          つまりこれは罠だ。にも関わらず、追い込まれた人々は未だその事に気付いていない。多分最後まで気付かないだろう。

          | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 10:21 | comments(0) | - |
          「霊界よりのオーダー」は絶対だ。
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            昨日も記事にした通り、物事は「心象の世界」より発せられたオーダーを受ける形で「物理的」な動きが開始される事となる。それは例えば自然現象として「地軸の移動」があったり「気象の変動」が生じたり「地震」が起きたりもそうだが、それを思えば(たかが)一個人の人間の思い付きや行動をオーダーに合わせて制御する事ぐらいの事は「朝飯前」の話だと悟って然るべきだろう。(元々は必要とあらば惑星の運行だって変えられるレベルの話だからだ。)

             

            このように「霊界(=心象の世界)」では、マクロの世界からミクロの世界に至るまで完全に統制出来る体制が常に整えられているという理解が全く正しいのだ。そして逆説的に言えば、それ故人間、そして人間世界に於いては「いろいろなことが起きる」と言える。それは(昨日も触れた様に、)「心象の世界」では人間の自発性、即ち「向上と下向の自由」が最大限に尊重されている事に起因する。何故ならそれこそが「人間を人間と呼べる唯一の理由」だからだ。

             

            話をいきなり現実の世情に戻すが、例の「森友学園問題」では様々な動きが起きている。今後の予測をする上では「カレイドスコープ」の最新の記事が参考になると思われるので、以下にリンクを貼っておく。

            http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-4888.html

             

            この問題の存在自体を「心象世界よりのオーダー」という視点に立って見るなら、「結果は既に決まっている」事になる。そして事件の解明や解決に向けた「人の動き」は、それぞれに「オーダーに対応したもの」と言える。そこでは「誰が善人で誰が悪人」という評価はさほど意味が無く、ただ「今後私たちがどう在るべきで、社会はどう在るべきか」という概念の形成に向けて全てが集約されて行く事が望ましいだろう。(もちろん、そのための人材の養成や人材の選択について適切な見直しが期待される事となる。)

             

            そしてもし、この一連の流れが「心象世界のオーダー」によるものだとするなら、今後この(物理的な)動きは世界中の至るところでほぼ同時に起きる事となり、それはもはや誰にも止められないだろう。何故なら、人間世界は既に(従来の浅はかな考えの下に突き動かされて来た愚かな指導者たちによって)文字通り後の無い「崖っぷち」に立たされていて、「霊界」ではまさに「オーダーの発動タイミング」をそこに設定していたと考えて良いからだ。その理由は一重に「最も効率が良く、効果的である」からと思える。

             

            ついでながら「ものを信じる」とは「土壇場で信じきる」ことです。

            | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 10:36 | comments(0) | - |
            時には「大局的なアプローチ」も必要です。
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              例えば「宇宙の起源」や「生命の起源」について思いを馳せて見ます。

              これらは私たち「人間」が存在するために、どうしても必要でした。

              しかし逆に考えるなら、物理的に「人間がどうしても存在しなければならない理由」など有りません。

              ですから「人間が存在しなければならない理由」は、あくまでも「心象的理由」と言えます。

              そして「人間」が存在するためには、そこに「宇宙」が存在し、「生命」が存在する必要があったということになります。

              少なくともそう筋道を立てることで「宇宙や生命の誕生に関わる確率の問題」は一瞬に解決します。

              そして後には個々の現象を具象化するための「技術的問題」のみが残り、それを解明するのが「科学」ということです。

               

              ところが私たちは「科学的概念」に目覚めてこの方、そのような考え方を「バカバカしい」と、一笑に付して来ました。

              何故でしょうか?

              それは科学を「万能」とする一方で、長年「心象の世界」を科学の外に置き去りにして来たからに相違有りません。

              その結果、全ての現象の発露に対して「物理的動機」を不可欠のものと考えざるを得なくなりました。

              何故なら、そうでない考え方の全ては凡そ「非科学的」として相手にされなくなってしまったからです。

              もちろん「心象の世界」もその限りでは無く、「現象は心象に左右される」など、有り得ない話とされて来ました。

               

              ここで改めて確認しますが、私たちに影響を及ぼす事象の因は「心象の世界であるところの霊界」に有ります。

              そして霊界の因が発動すると、現界で必要な物理的連鎖が起こり、結果現象をもたらすというのが「物の筋道」です。

              例えば「死」という因が発動すると、それに合わせて体内に「死に向かう物理的変化が生じる」ということです。

              もし「いや、そうではない」と言うなら、逆に「そうではない根拠と証明」が必要ですが、多分出来ないと思います。

               

              それに多くの人たちは気が付いていませんが、本当は「心象一つ」で物事を動かせた方が楽なはずです。

              但し「法則に従った思い」である必要はありますが、それは私たちが日頃「憲法や法律を遵守」するのも同じ事と言えます。

              | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 14:19 | comments(0) | - |
              霊界と現界に於ける「結論」の違い
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                ※本日の話は「人間は生きている間も霊界と現界に同時に籍を置いている」事を前提としていますので、これらの話に馴染めない方、認められない方は閲覧注意となります。

                 

                まず「霊界」では「思想、想念」が結論(結果)に直結します。よく「徳を積む、功徳を積む」などという言い回しが有りますが、これらはその働きとして「思想、想念を下支えする」という意味になります。しかし実際にはこれら「徳」の概念にも、その根拠となる「思想の高低によるランク付け」が存在しますので、やはり決め手は「思想、想念の有り様」と言わざるを得ません。そしてその「思想」が(良くも悪くも)安定的に維持される事によって、その人間の「平均的な霊層段階」が決定し、予め定められた「段階ごとの因」が(自動的に)発動する仕組みとなっています。霊的にはそれが即ち「結論(結果)」と言うことですから、やはり「思想、想念が即結果する」と考えて良いと思います。(「思想」という言葉は解りやすく「心柄」と置き換えても構いません。)

                つまり「霊界」は純粋に「心象の世界」ということです。

                 

                一方で私たちの暮らす「現界」は、ほとんどの事象が「物質」を介して引き起こされる仕組みとなっていますので、通常は「物質的現象の連鎖」の末に結論(結果)が用意される事となります。そして同時にそれらの「物質的連鎖の過程」に於いては「物理(学)的な矛盾」は生じないものと考えるのが一般的と思われます。つまり「結果現象は物理的に理に適った範疇でしか起こり得ない」というのが一般的な認識であって、例えばその中には「確率的に起こり得ない」という認識も含まれるでしょう。

                 

                しかし、ここでは物の順序が問題となります。それは「霊界で発動した因に従って現界で現象が起きる(または起きない)」という「物の順序」です。それは一重に「私たちの感覚の中では有り得ない事も起きる」可能性を示唆しています。

                このように「霊界の結論に忠実に従った現界の結果」をもたらす仕組みについては、さほど難解なものとは思えません。何故なら、その事象が人間に関わる場合、その時点で実は心象のコントロールが100%可能だからです。

                 

                元より人間には「向上の自由と下向の自由が与えられている」とされていますが、もしその「自由」が失効されたとすれば、私たちに「他の自由」は存在しませんので、当然100%霊界のコントロール下に置かれる事になります。そしてそれは「ピンポイントで結果現象を起こす必要」に際して言うなら、決して有り得ない事では無いということです。

                私たちが簡単に「有り得ない」などと思うのも、余りに「霊界と現界の関わり」を知らな過ぎるためと思われます。

                 

                それより何より、私たちは「与えられた自由」を実感し、最大限に活かす事にもっと専心する必要があるのではないでしょうか。

                | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 11:30 | comments(0) | - |
                「小学校設立申請取下げ」で幕引き?
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                  この「森友学園問題」をめぐる週末の一連の動きは、明らかに(政権にとって不都合な)国会での参考人招致を断固阻止し、次いで籠池理事長一人に全責任を押し付けて問題の「幕引き」をしようという「政権側の強い思惑」が働いたものではないかという事は、誰が考えてもそうなるでしょう。しかも籠池理事長の会見の真っ最中に「南スーダンPKO活動からの自衛隊撤退」の速報をぶつけて来るという(印象操作の)念の入れようで、これに「あの3.11からまる6年」のニュースが大々的に被れば、事態は終息するとの読みも有ると思われます。

                   

                  確かにこのような「裏工作や情報操作」によって政局の流れを変えるという方策は、(洋の東西を問わず)従来から「権力の常套手段」として行われて来た訳ですから、政権側としては「いつも通りの手筈で」という感覚なのかも知れませんが、しかしもしそうであったなら、そもそも「森友学園問題」が起こる事さえなかった筈なのです。(何故ならそこでも十分な「裏工作や情報操作、隠蔽工作」などが従来通り為されていた筈だからです。)にも関わらず起こってしまったということは、「政局を超える次元での大局的変化」が起きていると読み解くべきではないでしょうか。(つまり従来のノウハウが全て通用しないという事です。)

                   

                  ですから今回の政権側の性急な動きも、結果的には「火に油を注いだ」ことにしかならないと思います。

                  | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 09:44 | comments(0) | - |
                  遂に「黒船」来航?
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                    当ブログにて初めて「黒船」について触れたのは2016年の9月27日の記事でした。そしてそれ以来何度かその事に触れましたが、その主旨は「自浄作用を失った日本が変わるには黒船(=外圧)しかなかろう」との見方によるものでした。これは考えてみれば当たり前の事で、本物の黒船が来航した1853年から160年余り、世界は既に一国の好き勝手な振る舞いを(例え内政であっても)容認出来ないほど各国の利害関係が緊密化した状況が出来上がっています。増して内政と外政が表裏一体のものとするなら、(建前はともかくも)そこに様々なアプローチ(=圧力)があると考えるのが自然と思われます。ですから今回の様な日本の「内政」に関わる海外からのアプローチがもしあったとすれば、それは当然目に見えない形であるがゆえに、防ぎようの無い強大な力であるはずです。(以下にそれを覗わせるような「カレイドスコープ」の記事を紹介しておきます。)

                    カレイドスコープの記事はこちら→ http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-4853.html

                     

                    ところで私たちにとって、そのような「黒船」の影響を色濃く受けることが是か否かという事が最大の問題とも言えますが、結論的に言えば、それは「受け入れるべきは受け入れ、拒むべきは拒む」ということであって、案件ごとに態度をしっかりと決めて行くのが良いと思います。そしてそのためには私たちの側に「未来に対する明確なヴィジョン」が不可欠だと言うことです。

                    例えば「国際的な視野」に立った上に於いて「みんなで良くしよう」「みんなで良くなろう」というヴィジョンを日本が正確に発信出来たとしたら、いったいどこの国がそれに対して「難癖」を付ける事が出来るのでしょうか。

                     

                    私は(個人的には)現行の日本国憲法には、そのような発信を可能とする十分な潜在力があると思っています。ただ現状の私たちには、それを公然と発信するための「勇気」がまだ十分とは言えないのだとも思っています。

                    そう、私たちは「何か」を恐れているのです・・・・・。

                    | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 12:26 | comments(0) | - |
                    各自が「自分の役割」をしっかりと果たすべし
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                      本題に入る前に、昨日の「カレイドスコープ」の記事が「森友学園問題」の概要と本質を上手くまとめていると思われるので、以下にリンクを貼って置きます。

                      カレイドスコープの記事はこちら→ http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-4855.html

                       

                      さて、タイトルにも示した様に、私たちの社会は「役割分担」で構成されており、各自がそれぞれ請け負っているところの「自分の役割をしっかりと果たす」ことが健全で円滑な社会の前提となっています。ここで重要なのは「しっかりと果たす」という言葉の持つ意味を良く理解する事であって、端(はな)から「いい加減な気持ち」しか持てないというのは論外としても、大半の人間が「しっかり果たしているとは言い難い状況」があると思われます。そして正にその事が現在の社会の「歪みや危機的状況」の原因となっている自覚に乏しいことは非常に問題です。少なくとも過去数十年間にわたってその状況が積み上げられてきた訳ですから、いつかは「歪んだ積み木がバランスの限界に達して崩れ落ちる」のは当然で、それがたまたま今であるというだけの事でしかありません。

                       

                      例えば森友学園をめぐる一連の動きの中で、いったい誰が(どこが)「役割をしっかりと果たした」と言えるのでしょうか。これまでの経緯の中で関わったと予想される何十という個人、組織、団体の内、どれかひとつでもまともに役割を果たしていれば、おかしな流れは当然そこで引っ掛かる事となり、それ以上先へは進めなかったはずです。これの意味するものは一つしかなく、これまでの関わりの中の「誰も(どこも)役割をしっかりと果たさなかった」ということで、もし違法性(=犯罪)が立証されれば「関わった全員が共犯者」ということになります。それぞれが皆、学識も立場もある人たちですので「知らなかった」では通らないでしょう。

                      特に最近の国会答弁や記者会見では、総理大臣、財務大臣を始めとする関係省庁の大臣、局長クラスの人たち、また官房長官や与党幹事長、国対委員長や各議員に至るまで、明らかな詭弁(と子どもでも判るような答弁)に終始しており、「役割を果たす」どころか(参考人招致要請に対する拒否など)「役割の完全放棄」とも受け取られ兼ねない態度を示しています。

                       

                      この「役割の怠慢、放棄」に関しては、大手マスコミなど各報道機関にも同じ事が言え、民主主義国家に於ける「権力の監視」がその社会的に重要な責務、役割であることを重々承知の上でそれを「故意に怠った」という意味ではもはや「共謀、共犯」のレベルと言って良いでしょう。(一般市民とは異なり)自らにそのための「取材の権利、権限」が与えられていることを思えば、到底許されるものではなく、この際「自分たちも加担して問題が引き起こされた」という重い認識が必要です。(特に圧倒的な取材力を誇るNHK!)

                       

                      例えば社会というものは、仮にその仕組みが粗雑で簡易的なものであったとしても、その中で「役割」を担う人間が「自分の果たすべき役割」をしっかりと理解していれば、それなりに機能するものです。何故なら「臨機応変」に適切な行動を持てるからです。

                      しかし反対に、如何に構造的に完成度の高いシステムであっても、それぞれの役割を担う人々が各々「自己中心的」であったなら、構造的なあらゆる部分が「そのため」に使われることとなり、やがて構造全体が(修復不能な)奇怪な歪みで覆われるのは時間の問題となります。(現にそうなっています。)

                       

                      そうなれば構造物は(中の人間もろとも)一旦廃棄処分するしかなくなり、必要に応じて新規に組み直すしか有りません。その対象となるのは、まず政治システムであり、官僚システムであり、金融システムであり、他のあらゆる「おいしいシステム」であると思われます。

                      何れにしても、これからの社会に於いては「役割をしっかりと果たさない人」は生きられなくなるでしょう。(「反面教師」という役割の募集は既に終了しました。)

                      | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 12:34 | comments(0) | - |
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