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そしてみんな発狂した
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    夜の時代が終わりを遂げ、昼の時代を迎えて既に77年が経ちますが、特にここ数年の間、増々強くなった光が世の中や人の心の隅々まで射し照らし、これまで闇に存在していたあらゆる穢れの類があぶり出され、苦しみ悶えながら一斉に表層に浮き出して世の中に大混乱をもたらしている事実が、世の中の様子から窺い知れます。

     

    例えば国会に於けるIRカジノ法案、参議院定数6増法案然り、これらをまるでモノに憑かれたが如くゴリ押しする感覚や神経そのものが、もはや正気の沙汰とは思えません。

    また、愛知県豊田市の小学校に於ける小1児童熱中症死亡事件然り、この件に限らず私の知る範囲でも公職に就く人々の多くが既に正気を失い、正常な物事の判断が出来ずにいるようです。

     

    今後もしばらくの間、今まで考えられないような事案が社会のあらゆる場で次々に人の手によって引き起こされるでしょう。しかしもし、それらが「二分化」という必要なステップの一過程であるとすれば、私たちは相応の心構えと覚悟を以ってあらゆる局面を受け入れざるを得ません。何故ならたとえどのような瞬間であれ、私たちが「生きるという意味」を見失う訳には行かないからです。

    それは「眼前の今にベストを尽くす」ことによってのみ達成されるものと確信しています。

    | 青少年の味方の人 | 霊的考察 | 09:11 | comments(0) | - |
    二分化の流れが止まらない
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      ※ 本日の記事はは多分に「霊的内容」を含むため、興味のない方はスルーして頂いて構いません。

       

      以前より繰り返し申し上げてきた様に、現在の「昼の時代」に即した霊界の環境整備計画(とでも申しましょうか)に基づいた大規模な改変作業は滞りなく進行中で、それが一定の時間差を以って現界に反映する際の特徴的な現象の一つとして「明確な二分化」があると言えます。それは一言で表せば、これまでのいわゆる「グレーゾーン」を排した「白と黒とに人(の思想や言動)が二分化される」という意味で、それこそが霊界の計画の(段階的な)骨子と言っても良いでしょう。

      となれば「グレー」はもはや存在出来ない色となり、強いて言えば嘗てのグレーは霊界の改変によって黒に分類されることとなるはずです。何故なら色の見え方は「価値観」がもたらすものであり、その価値観自体が霊界の改変を通じて180度転換されつつあるからです。(昨今のセクハラ問題などが良い例です。)

      結局、霊界の改変に対して誰も抗い得ていないのが現状です。

       

      こうした「二分化」の進行によって、気が付けば「嘘の定義」すらも変わってしまいました。というのも、昔であれば「嘘は都合の悪い真実を悟られない様にするための(バレない前提の)もの」という認識でしたが、現在はそうではなく、「嘘は都合の良いことを単に強弁する(=言い張る)こと」でしかなく、バレようがバレまいが関係ない、ということの様です。(一連の政治家、官僚の答弁などが良い例です。)

      そしてその結果何が起きるかということですが、単純に「嘘をつく人の卑しさ、醜さが引き立つだけ」でしか有り得ず、それは同時に自らの人間性の欠落(=人間的劣化)を進んで世に知らしめる行為に他なりません。

      つまり人(の中の或る人々)はとうとう(自覚のないまま)「自滅」の引き金を引き始めたということです。(そんなこと誰も頼んでいません。)

       

      振り返れば当ブログでは2016年「変動、変化の年」、2017年「瓦解、崩壊の年」、そして2018年の今年は「対峙の年」というように毎年、年始めにその年の(予測ではなく)霊的進捗状況を明示させて頂いてきたつもりであり、例えば森友、加計問題で言えば、昨年の内に官邸や内閣府、財務省などの論理性、整合性は完全に「瓦解、崩壊」していたことが(改ざんや隠蔽事実の露見という形で)既に判明しています。ということは、今年になって現在私たち国民が「対峙」しているものは、実は既に崩壊して実体を失った構造体の「残渣或いは残像」に過ぎないということになります。(亡霊とかゾンビとかといった表現は好きでは有りません。)

      そんなものとも(億劫がって)まともに対峙出来ないようでは、それこそ「対峙する側の責任やヤル気」に問題が有ると言われても致し方有りません。言い換えれば「対峙」とは、個々の人々の心と行ないが白であるのか黒であるのかを決する正念場でもあるのです。何故なら前段で申し上げた如く(霊界の意向により)グレーゾーンが廃止され、選択肢として消滅したからです。

       

      故にこの時期、私たちには「自分なりの対峙」がどうしても必要ということです。

      | 青少年の味方の人 | 霊的考察 | 08:28 | comments(0) | - |
      「瓦解、崩壊の年」は残り半分となりました。
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        これは一年間を霊的な区切りである立春→節分までと考えればそうなると言うことです。振り返れば政治の世界では、まるで計ったかのように2月を契機に歯車が狂い始め、僅か半年たらずの間にまったく様相が変わってしまいました。

         

        もちろん如何なる結果現象にも理由(=原因)が有りますが、それらの多くは目に見える形だけで説明(=証明)し切れるものではなく、正確な認識や把握のためには「霊的要因」を識る必要が有ります。この「霊的要因」は、何も特別な人々だけが識り得るものではなく、誰しもが持っている「心の本質的な部分」である「良心」によって、本来であれば誰しもが認識可能なものであることは、是非識っておいて頂きたいと思います。

         

        何故なら、人間は誰しもがそれぞれ「自己の運命の責任」を担っているものですから、霊的、物的それぞれの要因をその都度適切に認識しつつ未来を形作っていく能力が備わっていると考えるのが極めて自然なことだからです。(もしその能力を未だ発揮出来ずにいるとすれば、それは教育を含む誤ったマインドコントロールによるものです。)

         

        程なく霊界の指導、先行による「大規模な価値の転換」が起こり、それに連れて社会の様相も一変するでしょうが、それらが霊的に定義されるところの「昼の時代」に相応しいものであることは間違い有りません。

        であるとすれば、私たちは今こそ「自らの良心」に一層磨きを掛けて、そうした「時代の転換」に備えておく必要が有ると思われます。

        | 青少年の味方の人 | 霊的考察 | 09:43 | comments(0) | - |
        「昼の時代」について
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          昭和16年(1941年)6月16日午前6時15分を以って、この世が「昼の時代」に突入したことは、当ブログでも何度か指摘してきた通りです。

          過去の記事はこちら→http://blg-hal-kursk.jugem.jp/?search=%C3%EB%A4%CE%BB%FE%C2%E5

           

          この事が、世の中の今後を推移する上に於いて如何に重要であるかについては今更申すまでも有りませんが、事の大きさに比して意外に「夜の時代→昼の時代」という概念に対する記述が少なく、(宗教的にも)理解が一般的でないのは、それがまさしく論理的には「輪廻転生(=生まれ変わり死に変わり)」に対する理解とセットでなければ成立し得ないことによるものと思われます。

          しかしその反面、歴史的事象や身近な物事の経緯、更には「原因結果の法則」にまつわるあらゆる物事の理解を不備なく円滑に行なうためには、この霊界に於ける「昼と夜」の概念の欠如が所謂ボトルネックになるであろう事は容易に想像出来る故、敢えて今一度申し上げる次第です。

           

          ともあれ、これから私たちのもとにもたらされる事は、主に「価値観の転換」になろうかと思います。それは場合に依っては「2500年間信じられ受け入れられてきた通念」さえも覆し兼ねない一大転換を私たちにもたらす事となるでしょう。(夜から昼に移行すれば当然そうなります。)

          そして、それら「転換による恩恵」を真っ先に享受するのは「子どもたち」かも知れません。

          | 青少年の味方の人 | 霊的考察 | 10:52 | comments(0) | - |
          「節分」が文字通りの節目となる
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            霊界が俄に忙しい。それは既に完遂された「審判」の結果を受けて、即ち「そこに在るべきでないもの、在ってはならないもの」の瓦解、崩壊に繋がる物事への着手が始まったからと思われる。その意味で、私たちは最早後戻り出来ない状況に在ると言って良い。しかし同時に私たちは、昭和16年6月16日午前6時15分に世界が「昼の時代」に突入して以来こんにちに至るまで、文字通り絶え間なく日夜繰り返し行われて来た数多の誤解曲解の余地さえ無い「完全なる警告」を無視し続けて来た事実を見落としてはならない。今更どれがどうで何がそれだったのかこの場に及んで改めて問い直す事は愚問の極みと思われる。何故ならそれは、それこそ20年前であろうが10年前であろうが5年前であろうが、いつでも好きな時に好きなだけ出来たはずの事に相違ないからだ。(答えは常に、人間がより人間らしく生きるための馬鹿でも解る二者択一だったはずだ。)にも関わらず信じられない事には、ごく少数の人々を除いた大方の人間は、その間一度もそれについて問おうともしなかったという事実を前提に今日の日が在るのは間違い無い。

            結論として、私たちは何も特別なものを求められていた訳でも無く、ただただ「普通」で良かった。しかしその「普通」ですら、いつしか鼻も掛けなくなって行ったということだ。それを「思想の紊乱、道義の敗退」と言う。

             

            ここまで来れば、最早人間は最後まで人事を尽くしつつ、奇跡が起きるのを待つしか無いだろう。

            だが、奇跡が起きないからといって文句を言うのは筋違いだ。何故なら奇跡は起きないのが「普通」だからだ。

            | 青少年の味方の人 | 霊的考察 | 15:09 | comments(0) | - |
            「試行錯誤の時代」は終わっています。
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              「試行錯誤」とは、先が見えない(読めない)場合に、あれこれと試しながら模索を繰り返す事だと思います。霊的には人類にとってそのような「試行錯誤の時代(=夜の時代)」が、概ね2500年続いた後、今から75年前にそれが明けて再び「昼の時代となった」という事になっています。これを逆算すると(奇しくも)おおよそ釈迦(シャカ)が生まれる前後に、人類が「夜の時代」を迎えるに至ったということになります。(それ以前はもちろん昼の時代です。)

              お釈迦様が「既に見通しの効かない時代」に在って、あれだけの教えを説かれたという事もさることながら、より重要な事は、「現在は誰もが先行きを見通す事が可能な状況下にある」ということです。但し「欲に目が眩んでいなければ」という条件付きですが。
              例えば「社会というものは、互いに助け合い、力を合わせながら(みんなにとって)良いと思われる方向へ舵を取って行くもの」という前提に従う限り、何をどうすれば良いかは非常に解りやすくなって来ていると思いますが、そうではなく「社会というものは、他人を踏み台にして己が上り詰めるもの」などと、ジメジメとカビの生えたような「古い観念」に未だに縛られている国、組織、人々にあっては、「何もかも見誤る」という恐怖の事態が待ち受けています。それはあたかも「周囲の人々にはすっかり見通せている景色が、自分だけ目をつぶっているために何も見えていない」という状態に例える事が出来ます。
              因みに「夜の時代」に於いてそのような振る舞いが通用したのは、「他の人たちにとっても見え辛かった」からに過ぎません。それ故「みんなでグチャグチャにしてしまう」というようなケースも度々起こり得ましたが、もはやそのような時代では有りません。くどいようですが、今後は「我欲のために道を踏み誤った人だけ」が、足が空を切り転落の憂き目を見る事になります。

              今や国際社会に於いても、また国内にあっても、それこそ「そうそうたる(見えていない)人々による信じがたい暴挙」が次々と浮き彫りにされ、目の前で深みにハマって行く様子が日々実況中継されていますが、この人たちは「嘗(かつ)ての秘密がもはや秘密になっていない」事が本当に理解出来ているのでしょうか?「自分たちが騙せていると思っている相手は、もはや自分たちと同じ穴のムジナでしかない」ことに、本当に気付いていないのでしょうか?もし「解っていない」のだとしたら、こんなに怖ろしいことは有りません。何故ならその人は「我欲の代償として五感の全てを奪われ、錯覚に陥り、まるで憑かれた様に自らの墓穴を掘っている」のが誰の目にも明らかだからです。これを果たして「狂気」と呼ぶべきか否か、真に悩ましい限りです。
              | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 15:04 | comments(0) | - |
              嘘が立ちどころにバレる時代
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                「白昼堂々と・・・」という表現が有りますが、これは「昼間は悪事を働くには不向き」であることの裏返しの言葉で、昔から悪事や陰謀は「闇に紛れて」「夜陰に乗じて」行うのが慣わしです。
                ところで以前の記事で「昭和16年6月16日午前6時15分を以って霊界現界共に昼の時代を迎えた」旨を書きました。これは「霊的」には「神が(長きに渡った)夜の時代に於けるホトケのコロモをかなぐり捨てて神の姿に立ち返った」ことを意味します。

                皆さんも言葉の上では「神代(カミヨ)の昔から・・・」などという言い回しをご存知かと思いますが、これは嘗て「現界」が「霊界(=神界)」の影響を色濃く受けていた「昼の時代」の事を指しています。取り分け「白昼」は太陽に真上から照らされるため、闇はおろか物陰すらも存在出来ず、全てが光の下(もと)に晒されてしまいますが、「昼の時代」とは、そのようなイメージの世界と思って良いでしょう。それは現実的には「原因」から「結果」に至るまでの「レスポンス(=反応速度)」が速くなることを意味します。何故なら、今まで「闇や陰」によってもたらされていた「インターバルやタイムギャップ」が無くなるからです。そしてそのような状況下では「嘘がバレる」と言うよりも「嘘を付こう」とするより速く「真実」が明らかにされることとなるでしょう。それは何とも異様で滑稽な道化振りとして人々の目に映るに違い有りません。例えば現在の中東情勢の様に。

                そうなると、「夜の時代」とは何だったのかと言うことですが、もちろん「それがいつ始まっていつ明けるか」も含めて、全ては「理に適った」ものでした。詳細は控えますが、もしかするとそれは「薬師如来」に象徴されるかも知れません。つまり「医薬」が人間にもたらしたものは何だったのか。少なくとも、それは「コメや家畜」とは異質のものであるはずです。私たちは正にこの時代に、そのことに深く思いを致す必要が有って、同時にそれが「この先どう生きれば良いか」ということの手掛かりとなるに違い有りません。

                何れにしても「夜の時代から昼の時代への完全な転換」には過渡的な期間が在ったように思います。もし仮にそれが急激なものだったとすれば、それこそ想像を絶するとてつもない混乱が生じていたはずです。つまり、より円滑に行われる為に幾ばくかの「世代交代」を必要とされるなら、「三世代80年」というのも納得の行く数字でしょう。
                | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 11:02 | comments(0) | - |
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