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「瓦解、崩壊の年」は残り半分となりました。
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    これは一年間を霊的な区切りである立春→節分までと考えればそうなると言うことです。振り返れば政治の世界では、まるで計ったかのように2月を契機に歯車が狂い始め、僅か半年たらずの間にまったく様相が変わってしまいました。

     

    もちろん如何なる結果現象にも理由(=原因)が有りますが、それらの多くは目に見える形だけで説明(=証明)し切れるものではなく、正確な認識や把握のためには「霊的要因」を識る必要が有ります。この「霊的要因」は、何も特別な人々だけが識り得るものではなく、誰しもが持っている「心の本質的な部分」である「良心」によって、本来であれば誰しもが認識可能なものであることは、是非識っておいて頂きたいと思います。

     

    何故なら、人間は誰しもがそれぞれ「自己の運命の責任」を担っているものですから、霊的、物的それぞれの要因をその都度適切に認識しつつ未来を形作っていく能力が備わっていると考えるのが極めて自然なことだからです。(もしその能力を未だ発揮出来ずにいるとすれば、それは教育を含む誤ったマインドコントロールによるものです。)

     

    程なく霊界の指導、先行による「大規模な価値の転換」が起こり、それに連れて社会の様相も一変するでしょうが、それらが霊的に定義されるところの「昼の時代」に相応しいものであることは間違い有りません。

    であるとすれば、私たちは今こそ「自らの良心」に一層磨きを掛けて、そうした「時代の転換」に備えておく必要が有ると思われます。

    | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 09:43 | comments(0) | - |
    「昼の時代」について
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      昭和16年(1941年)6月16日午前6時15分を以って、この世が「昼の時代」に突入したことは、当ブログでも何度か指摘してきた通りです。

      過去の記事はこちら→http://blg-hal-kursk.jugem.jp/?search=%C3%EB%A4%CE%BB%FE%C2%E5

       

      この事が、世の中の今後を推移する上に於いて如何に重要であるかについては今更申すまでも有りませんが、事の大きさに比して意外に「夜の時代→昼の時代」という概念に対する記述が少なく、(宗教的にも)理解が一般的でないのは、それがまさしく論理的には「輪廻転生(=生まれ変わり死に変わり)」に対する理解とセットでなければ成立し得ないことによるものと思われます。

      しかしその反面、歴史的事象や身近な物事の経緯、更には「原因結果の法則」にまつわるあらゆる物事の理解を不備なく円滑に行なうためには、この霊界に於ける「昼と夜」の概念の欠如が所謂ボトルネックになるであろう事は容易に想像出来る故、敢えて今一度申し上げる次第です。

       

      ともあれ、これから私たちのもとにもたらされる事は、主に「価値観の転換」になろうかと思います。それは場合に依っては「2500年間信じられ受け入れられてきた通念」さえも覆し兼ねない一大転換を私たちにもたらす事となるでしょう。(夜から昼に移行すれば当然そうなります。)

      そして、それら「転換による恩恵」を真っ先に享受するのは「子どもたち」かも知れません。

      | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 10:52 | comments(0) | - |
      「節分」が文字通りの節目となる
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        霊界が俄に忙しい。それは既に完遂された「審判」の結果を受けて、即ち「そこに在るべきでないもの、在ってはならないもの」の瓦解、崩壊に繋がる物事への着手が始まったからと思われる。その意味で、私たちは最早後戻り出来ない状況に在ると言って良い。しかし同時に私たちは、昭和16年6月16日午前6時15分に世界が「昼の時代」に突入して以来こんにちに至るまで、文字通り絶え間なく日夜繰り返し行われて来た数多の誤解曲解の余地さえ無い「完全なる警告」を無視し続けて来た事実を見落としてはならない。今更どれがどうで何がそれだったのかこの場に及んで改めて問い直す事は愚問の極みと思われる。何故ならそれは、それこそ20年前であろうが10年前であろうが5年前であろうが、いつでも好きな時に好きなだけ出来たはずの事に相違ないからだ。(答えは常に、人間がより人間らしく生きるための馬鹿でも解る二者択一だったはずだ。)にも関わらず信じられない事には、ごく少数の人々を除いた大方の人間は、その間一度もそれについて問おうともしなかったという事実を前提に今日の日が在るのは間違い無い。

        結論として、私たちは何も特別なものを求められていた訳でも無く、ただただ「普通」で良かった。しかしその「普通」ですら、いつしか鼻も掛けなくなって行ったということだ。それを「思想の紊乱、道義の敗退」と言う。

         

        ここまで来れば、最早人間は最後まで人事を尽くしつつ、奇跡が起きるのを待つしか無いだろう。

        だが、奇跡が起きないからといって文句を言うのは筋違いだ。何故なら奇跡は起きないのが「普通」だからだ。

        | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 15:09 | comments(0) | - |
        「試行錯誤の時代」は終わっています。
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          「試行錯誤」とは、先が見えない(読めない)場合に、あれこれと試しながら模索を繰り返す事だと思います。霊的には人類にとってそのような「試行錯誤の時代(=夜の時代)」が、概ね2500年続いた後、今から75年前にそれが明けて再び「昼の時代となった」という事になっています。これを逆算すると(奇しくも)おおよそ釈迦(シャカ)が生まれる前後に、人類が「夜の時代」を迎えるに至ったということになります。(それ以前はもちろん昼の時代です。)

          お釈迦様が「既に見通しの効かない時代」に在って、あれだけの教えを説かれたという事もさることながら、より重要な事は、「現在は誰もが先行きを見通す事が可能な状況下にある」ということです。但し「欲に目が眩んでいなければ」という条件付きですが。
          例えば「社会というものは、互いに助け合い、力を合わせながら(みんなにとって)良いと思われる方向へ舵を取って行くもの」という前提に従う限り、何をどうすれば良いかは非常に解りやすくなって来ていると思いますが、そうではなく「社会というものは、他人を踏み台にして己が上り詰めるもの」などと、ジメジメとカビの生えたような「古い観念」に未だに縛られている国、組織、人々にあっては、「何もかも見誤る」という恐怖の事態が待ち受けています。それはあたかも「周囲の人々にはすっかり見通せている景色が、自分だけ目をつぶっているために何も見えていない」という状態に例える事が出来ます。
          因みに「夜の時代」に於いてそのような振る舞いが通用したのは、「他の人たちにとっても見え辛かった」からに過ぎません。それ故「みんなでグチャグチャにしてしまう」というようなケースも度々起こり得ましたが、もはやそのような時代では有りません。くどいようですが、今後は「我欲のために道を踏み誤った人だけ」が、足が空を切り転落の憂き目を見る事になります。

          今や国際社会に於いても、また国内にあっても、それこそ「そうそうたる(見えていない)人々による信じがたい暴挙」が次々と浮き彫りにされ、目の前で深みにハマって行く様子が日々実況中継されていますが、この人たちは「嘗(かつ)ての秘密がもはや秘密になっていない」事が本当に理解出来ているのでしょうか?「自分たちが騙せていると思っている相手は、もはや自分たちと同じ穴のムジナでしかない」ことに、本当に気付いていないのでしょうか?もし「解っていない」のだとしたら、こんなに怖ろしいことは有りません。何故ならその人は「我欲の代償として五感の全てを奪われ、錯覚に陥り、まるで憑かれた様に自らの墓穴を掘っている」のが誰の目にも明らかだからです。これを果たして「狂気」と呼ぶべきか否か、真に悩ましい限りです。
          | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 15:04 | comments(0) | - |
          嘘が立ちどころにバレる時代
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            「白昼堂々と・・・」という表現が有りますが、これは「昼間は悪事を働くには不向き」であることの裏返しの言葉で、昔から悪事や陰謀は「闇に紛れて」「夜陰に乗じて」行うのが慣わしです。
            ところで以前の記事で「昭和16年6月16日午前6時15分を以って霊界現界共に昼の時代を迎えた」旨を書きました。これは「霊的」には「神が(長きに渡った)夜の時代に於けるホトケのコロモをかなぐり捨てて神の姿に立ち返った」ことを意味します。

            皆さんも言葉の上では「神代(カミヨ)の昔から・・・」などという言い回しをご存知かと思いますが、これは嘗て「現界」が「霊界(=神界)」の影響を色濃く受けていた「昼の時代」の事を指しています。取り分け「白昼」は太陽に真上から照らされるため、闇はおろか物陰すらも存在出来ず、全てが光の下(もと)に晒されてしまいますが、「昼の時代」とは、そのようなイメージの世界と思って良いでしょう。それは現実的には「原因」から「結果」に至るまでの「レスポンス(=反応速度)」が速くなることを意味します。何故なら、今まで「闇や陰」によってもたらされていた「インターバルやタイムギャップ」が無くなるからです。そしてそのような状況下では「嘘がバレる」と言うよりも「嘘を付こう」とするより速く「真実」が明らかにされることとなるでしょう。それは何とも異様で滑稽な道化振りとして人々の目に映るに違い有りません。例えば現在の中東情勢の様に。

            そうなると、「夜の時代」とは何だったのかと言うことですが、もちろん「それがいつ始まっていつ明けるか」も含めて、全ては「理に適った」ものでした。詳細は控えますが、もしかするとそれは「薬師如来」に象徴されるかも知れません。つまり「医薬」が人間にもたらしたものは何だったのか。少なくとも、それは「コメや家畜」とは異質のものであるはずです。私たちは正にこの時代に、そのことに深く思いを致す必要が有って、同時にそれが「この先どう生きれば良いか」ということの手掛かりとなるに違い有りません。

            何れにしても「夜の時代から昼の時代への完全な転換」には過渡的な期間が在ったように思います。もし仮にそれが急激なものだったとすれば、それこそ想像を絶するとてつもない混乱が生じていたはずです。つまり、より円滑に行われる為に幾ばくかの「世代交代」を必要とされるなら、「三世代80年」というのも納得の行く数字でしょう。
            | 青少年の味方の人 | 証明出来ない?大事なお話 | 11:02 | comments(0) | - |
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